椿の花の落ちる頃。
今日は月曜。 俺は連休中だが、平日扱いのところも結構あるようで、郊外の美術館は結構空いていることが期待できる。 そしてそんな期待を裏切らないのが府中市美術館。
ということで、府中市美術館に行ってきた。 今 歌川国芳 21世紀の絵画力 を開催中。
このところ、いろんなところで歌川国芳が取り上げられている気がするが、何かあるのかね。
生没年月日は
寛政9年11月15日(1798年1月1日)〜文久元年3月5日(1861年4月14日)
だそうで、去年から今年にかけてが生後何年とか没後何年とかの切りが良いところではなさそうだが。
まあ、やってくれる分にはなんだって良いんだけどさ。
歌川国芳の展覧会はたいてい派手で大袈裟なものが中心となってしまうものだが、今回は他所ではあまり見かけない風景画もあって、これがなかなか良かった。 東都名所シリーズとか、東都富士見三十六景シリーズとか。
まあこの辺りは相対評価で、派手なのは他の展覧会で何度も見たとか、派手なのの中に急に落ち着いたのが出てきた落差とか、作品単独ではない評価軸もあるとは思う。 広重や北斎の作品群と並んでいたら、埋没しそうな気もするし。 いやでも東都名所シリーズの かすみが関 は、それらの中にあっても、これは良いって思いそうだな。
歌川国芳は猫が大好きで、猫を抱きながら絵を描いていたこともあったとか。 その所為か、猫が出てくる絵がやたらに多いのだが、どの猫もあんまり可愛くないんだよな。 猫が好きなのは伝わってくるのに。 これも美人画と同じで、様式の枠ってものがあるのだろうか。
猫をそのまま猫として描くのではなくて擬人化したものも結構あったのだが、こちらの猫も微妙。 だが くつろぐ夏の猫美人たち で三味線を抱えている猫はよかったな。 彼女からカリカリが欲しいと言われたらホイホイ貢ぎそう。 で、
♪ カリカリの〜 一山幾らで芸を売り〜 男の背中で爪を研ぐ〜 所詮この世は〜 ♪
なんて弾き語ってもらうのだ。
府中市美術館は展覧会を前期と後期に分けて展示品を総入れ替えすることが多いのだが、今回もそうだったらしい。 展覧会の出口で売っているグッズに見てない作品が幾つかあって、そこで初めて気がついた。 ちなみに今は後期。 これが展示されているのに、あれは無しなのか? と思うことがちょこちょこあったのだが、それらは前期の展示だったらしい。
府中市美術館なら日曜の昼から行っても十分見れそうだし、もうちょっと早く展覧会に気づけば良かったな。
いろいろあるんだなー… なんて今更言うことでもないのだが、同じ日に立て続けに見てしまうと、いろいろ考えてしまう話。
その1
年明け早々子供経由で今流行ってる胃腸風邪になって初めて3日寝込んだんだけど、旦那がそわそわしながら何か出来ることないか聞いてきた。
家事やってくれるし子供見ててくれるし充分助かったんだけど、ちょっと我儘言ってみた。
「とにかくあかるい安村の全然大丈夫じゃないバージョンがみたい」 って。
そしたら一度部屋からでてった旦那が裸で襖あけて 「安心して下さい! 履いてますよ!」 ってやったんだけど履いてないの。動けずに布団の中にいたはずなのに這いつくばって脚にしがみついて 「好き」 って言って満足して寝たら、次の日の朝吐き気も下痢もピタって止まって元気になった。
旦那パワー!!
その2
先月、子供が巣立っていった。
子供が一歳のとき離婚して、五歳のとき今の夫と再婚した。 夫とは子供をつくらなかった。 表向き 「私が出産に耐えうる体力がないから」 といったけれど、夫は私より一回り上だったので障害を心配してのことだった。
幸い夫は己の子供にはこだわらなかったのと、自分の趣味(アウトドア、主に釣り)についてくる私の子供が可愛くて仕方なかったようで、色んな場所へ旅行に連れていってくれた。 学校の参観日や行事にも積極的に参加してくれて、子供のためにと様々な気遣いをしてくれて早15年経った。 子供にとって最高のお父さんだった。
でもそんな最高の夫を、私は男として初めから少しも愛してはいない。
オリジナルから句読点と改行の一部、誤字脱字と思われる部分を変更。
本当か嘘か、本気か冗談か、もちろん俺には分かる筈もないんだけどさ。 でも2番目の最後の行は、なんか変な自信があるからこそ出てくる言葉って感じがするな。 夫に愛されている自信とか、夫には騙されないけど夫を騙せる自信とか。
夫も実は妻に愛が無いのを知ってて、それを改善しようと15年間頑張ってみたけど 「結局ダメだったなぁ」 なんて思ってるかもしれない。 夫も実は最初から愛なんて無くて、形だけ良い家族としてやっていこうと努力していただけかもしれない。 実は夫は種無しなのを隠していて、子供を作ろうなんて言われたらどうしようと思っていたから、子供を作らない理由を妻が引き受けてくれてラッキーと思っているかもしれない。
なんてことは、全然考えてなさそう。
何故、自分がやっていることを人もやると思わないのか。 それはきっと自分が特別だと思っているからなんだよな。