2004 04 02

田中真紀子の娘

田中真紀子の娘から、プライバシーの侵害であるとして出版差し止めを求められた週刊文春。 地裁で出された出版差し止めの仮処分は、高裁では一転、取り消しとなった。 原告側は、これに対して抗告しないとのこと。

この件について、ニュースに出てくるコメント屋さんは、少なくとも俺の見聞きした範囲では全て、出版差し止めには反対だった。 曰く、

  1. 記事内容によって事前に出版差し止めをするのは検閲に繋がる
  2. これが、政治家などがメディアの追及を逃れる為の前例となる
  3. プライバシーの侵害かどうかは読者が判断すべき
  4. 差し止めされた号に、他に重要な記事があったらどうするのか

最初の2つは、この手の問題で必ず出てくる決まり文句。 挨拶みたいなものだと思っておけばいい。 そもそも問題になった記事自体は、ほとんどのコメント屋が 「プライバシーの侵害かはともかく、公的価値は無いもの」 だと言い、また地裁でも高裁でも 「プライバシーの侵害」 だと判断されたもの。 自由が保障される報道では無い。 本来載せるべきでないものを載せて訴える報道の自由は、暴走族が暴走する自由を謳うのと同じ。 考え方が逆なのだ。 世論をバックに権力が介入するような流れを作らないように、注意しないとね。

酷いのが3番目。 人に知られたくないからこそのプライバシーだろうに、それを読者に判断させろって、ねえ。 何しろ読者ってのは、プライバシーの侵害で訴えられたことが報道されると、その雑誌をいつもより余計に買っちゃうクズだからね。 そこに、出版差し止めに向けた動きをすぐに取れる立場にありながら 「私人」 を称する田中真紀子の娘への、ある種の敵視が混じっていたとしても。

最後のはもう論外。 実際に重要な記事があったとして、だから出版するとしたら、つまり重要な記事は人質ってことか。

ところで、差し止めの仮処分が出るような記事内容なら、テレビのニュースでその内容を報じるのは拙いんじゃないかね。 田中真紀子の娘が離婚したことは、テレビのせいで、差し止めになった雑誌が差し止めになる前に売れてしまった以上に、広まってしまったんじゃないかと思うのだが。

現役の政治家は夫の方なんだけど、影薄いよなぁ…