好き嫌いは、これまで生きてきた積み重ねで複雑になっているが、基本的には自己保存の本能に根差すものだと思う。 途中の諸々をすっ飛ばして極論すると、 「嫌い」 は 「死ぬ」 に、 「好き」 は 「生きる」 に結びつく。 死から逃れることは、肉体レベルでは常に第1優先だ。 だから、意識はそれを把握しようとする。 その(また途中を大胆にすっ飛ばした)結果として、 「嫌い」 の理由は常に 「好き」 よりもはっきりするのだな。
個人サイトに対して、いや、個人サイトだからこそ、か。 好き嫌いが結構あるのだが、嫌いのパターンがはっきりしているのに対して、好きは結構雑多。 何でそうなんだろうと考えた結果が上なのだが、これじゃあ説明にならないな。
終盤は今一つだが、中盤はかなり怖い。 殺人にまでは至らなくても、似たような状況がメールのやりとりで起きていてもおかしくはないな。 メールに自分がどんなことを書いてきたのか、ちょっと考えてしまった。 メールに限ったことじゃないか。 こうして書いている文章にも、自分が滲み出ているんだよなぁ。 ま、俺の場合は滲み出ると言うより見たままらしいけど。