天気が良いので浅川の土手を散歩していたら、婆さんが倒れていたという話。
浅川土手の遊歩道、かつてホームレスが死んだ辺りで、子供が泣いていた。 小学校の2年か3年ぐらいの、おかっぱ頭の男の子。 声をかけようか無視しようか迷っていたら、土手から男が駆け上がってきた。
「携帯電話を持っていませんか?」
と、その男。 黒のジャージ上下。 髭面。 後ろで束ねた髪は、 「伸ばした」 よりも 「伸びてしまった」 という風情。 子供の父親らしい。
「いや、持ってないです」
そう答えて、男が来た方を見ると、婆さんが倒れていた。 「ヴー…ヴー…ヴー…」 とバイブに設定した携帯が着信したような唸り声。 苦しそうな顔。
どうしたものかと辺りを見回して、ジョギングの途中らしいおばさん(と言い切るにはちょっと微妙)を発見。 生え際まできっちり染めた金髪。 100%の描き眉。 ジョギングのくせに厚化粧。 これはきっと携帯をもっているに違いないと思って、声をかけた。
「すみません、携帯持ってませんか?」
「いえ、持ってないですけど、どうかしたんですか?」
「人が倒れてるんで、救急車を呼びたいんですが」
「えっ!」
駆け寄ってくるおばさん。 婆さんの傍に戻っていた男に声をかけた。
「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
「貧血を起こして滑り落ちたらしいんですよ。 ちょっと自分が向こう岸に行ってるときに」
「はやく救急車を呼ばないと… えーと… 誰か…」
倒れている婆さんを見て動揺するおばさん。
「ちょっと電話を借りてきます」
そう言い残して、男が土手を走って行った。 すると、すぐにおばさんが婆さんの傍に行って、 「大丈夫ですか? 痛いところは無いですか?」 などと声をかけ始めた。 俺はそれを土手の上から見ていた。 おばさんがすぐに体が動くことに感心したり、 「ちょっと向こう岸に行っていたときに」 という男の言葉を反芻したりしながら。
数分で男が戻ってきた。
「今連絡をとりました。 もう大丈夫です。 ありがとうございます」
と男。 すぐに救急車が来るらしい。
通りかかった別の婆さんが、
「貧血には飴が良いらしいですよ。 これでもどうぞ」
と飴を差し出した。 男が、受け取った飴を婆さんの口に入れようとするので、それは弱って仰向けになっている今は拙いだろうと止めた。
それからまた散歩。 しばらく土手を歩いたところで、サイレンが聞こえてきた。 だんだん近付いてくるそのサイレンは消防車。 俺の前を歩いていたさっきのおばさん(と言い切るにはちょっと微妙)が、不安そうに振り向いて、話し掛けてきた。
「いまの、消防車ですよね」
「そうですね」
「救急車呼んでないのかなぁ… 電話番号間違ったんですかねぇ」
「救急車も消防車も119番でしょう」
「あ、そうか。 じゃあ呼ぶの間違えたんですかねぇ」
「前にもあそこで人が倒れていたんですけど、そのときも消防車と救急車が来てましたよ」
「そうなんですか?」
「間違えたにしても、消防車の無線で救急車が呼べるし、大丈夫でしょう」
「そうだといいんですけど、心配だなぁ…」
おばさん、本当に心配な様子で、何度も振り返りながら歩いていった。
それから少しして、救急車のサイレンも聞こえてきた。
改めて見てみれば、意外にSMチック。
たいていの人生は無駄に終わる。 その無駄に終わった人生の死屍累々。
言えない。 クレーンを見てホーキング博士を思い出したなんて…