梅雨の中休みに暑いのではない。 暑さの中休みに雨が降るのだ。 名前ばかりの梅雨は、今日も暑い。
ノストラダムスの五島君は、 「あれは警告のつもりだった。 信じて悩んだ人がいたのなら、その人達には悪いことをしたと思う」 と言っているそうだ。 本人も、ここまで大事になるとは思わなかったのだろう。
銃を撃ったことがある。 遠い昔の、7月の終わりぐらいだったと思う。
最初は空砲で、一連の射撃操作を習った。 空砲は、バピュンッという情けない音がして、反動も子供に殴られたぐらいのものだった。
それから実弾を撃った。 実弾は、空砲から想像するよりも遙かに大きな音と反動だった。 その場にいた誰もが、実弾を一発撃ったとたんに真剣な顔になった。
25mぐらい先にある的を3発撃って、弾着を確認して照準を修正する。 これを3回繰り返して照準をきちんと合わてから、さらに9発撃った。 約 20cm四方の的に全部命中したのは、初めてにしては巧いということだった。
射撃の後、銃を整備してから返すことになっていた。 銃身に油を塗っていると、後ろから呼ばれた。 振り返ると、俺に銃が向けられていた。 背筋がゾクリとした。 「けっこうびっくりするだろ?」 と、すぐに銃口は逸らされた。
その夜、考えたのは、 「自分は人を撃つことができるだろうか?」 ということだ。 俺はたぶん撃つだろう。 撃たなければ撃たれるというように、何か適当な理由があれば、俺はほとんど躊躇わずに引き金を引くだろう。 その時はそう思った。
しばらく前から探していた本を、今日、立川駅ビルの本屋で見つけて買った。 その帰り。 分倍河原で京王線を待っていたときのことだ。
ホームのベンチで、さっき買ったばかりの本を読んでいた。 急行電車が到着するとの放送に目を上げると、ホームの端に小さな虫がいた。 どうやら弱っているらしい。 ちょっと歩いて、羽根を広げて飛び立とうとして、飛び立てずに体を引きずって、またちょっと歩いて…を繰り返していた。
電車がホームに入ってきた。 ちょうどその虫がいるところでドアが開いて、何人かが降りてきた。 そのドアから乗る人はいなかった。 電車が出ていった後、さっきの虫はまだ踏み潰されずにそこにいた。 ちょっと安心した。 こういうのはやっぱり 「運がいい」 って言うんだろう。
そのままぼんやり虫を見ていて、ふと、 「俺が踏み潰そうか?」 と思った。 絶体絶命の状況を何とか無事にくぐり抜けたこの虫の幸運を、俺が踏み潰す。 そう考えると、踏み潰すという行為が、なんだか魅力的なことに思えてきた。
各駅停車がホームに入ってきたので、広げっぱなしだった本を閉じて電車に乗った。 結局、俺は虫を踏み潰さなかった。 電車がもうしばらく来なかったら、俺は虫を踏み潰しただろうか? たぶんそうしなかったと思う。