インド細密画

府中の森公園

府中の森公園の並木道。

この並木道の先にある府中市美術館で インド細密画 を見てきた。

展覧会のポスターには はじめましてインド とあった。 実際その通りで、これまであまりインド絵画ってものを見たことが無い。 見たことが無いのは、展覧会などで扱われないから。 展覧会で扱われないのは、需要が無いのか、入手が困難だったのか、どっちだろうね。

展示されている細密画は、ムガル帝国やラージプト諸国の宮廷で親しまれたもの。 16〜19世紀という時代は、日本だと戦国から幕末ぐらいまでか。

元々インドでは、仏教の経典に挿絵として小さな絵が描かれていた。 そうした挿絵は、仏教の後のイスラム教やヒンズー教でも描かれ、やがて絵画として独立していった。 16世紀後半のムガル帝国で、皇帝がペルシアから画家を招いたことで写実的な技法が広まり、それまでの技法を色濃く残すラージプト諸国へも影響を与えた。

と、歴史的には大体こんな感じ。

ムガル絵画は確かに西洋絵画的な写実志向があって、ラージプト絵画とは簡単に区別がつく。 しかし展示されていた典型的な初期のムガル絵画を除くと、描かれる対象の捉え方みたいなものは通底するものがあるように思う。 ナンで食べようがライスで食べようがカレーはカレー、的な。

で、中世から近代にかけて何が変わったかと言うと、細密具合。

経典の挿絵の時代からそこそこ細密だったが、時代が進むに従って更に細密になる。 基本横顔。 建物は正面。 なのに何故か敷物は上から。 その他、三次元的なリアリティはほぼ無視。 と、伝統的な表現の様式はほぼ変わらないままで。

描く側の意識は変わらないまま、道具と技術だけが進化したのだろうか。

描かれる内容で最も多いのは神話。 マハーバーラタとかラーマーヤナとか。

挿絵的な立ち位置なので、描かれたのがどんなシーンなのか、どんな背景があるのか、そういったことが解説として付記されている。 それらの解説で記憶に残っているのが クリシュナは1万6千人の妻と18万人の子があった という一節。

毎晩一人を相手にしてると、1万6千人をこなすのに40年以上かかる。 なのに子供の数は、妻当たり10人以上。 10歳から毎晩10人孕ませると、60歳ぐらいで子供18万人達成か。 悪質ブリーダーに使い潰される雄犬の方がまだマシなんじゃないかってブラック具合。 そんな生涯は嫌だ。

おっと、クリシュナが超早漏たった可能性もあるか。

動物も多く描かれているが、種類は少ない。 牛、虎、鹿、鳥、蛇、ぐらいか。 馬や象も出てくるのだが、なんか扱いが違うように見える。 前者が何か意思ある者のように描かれているのに対して、馬や象は乗り物、もっと言うと道具のような。

それら動物で共通するのが目の描き方。 どれも人間と同じように描かれている。 だから何か意思ある者と感じるのだろう。 時代が進むと、人とは描き分けられているものも出てくるが、人っぽさは変わらない。

いや、蛇の目だけは蛇っぽいのも多かったな。 逆に虎は、縞模様までが人の目のようだった。 インド人女性の閉じた目のような模様が等間隔に並んでいて、微妙に気持ち悪い。 虎が本気になると、閉じている身体中の目が一斉に開きそうな。

絵は最大でもA4サイズで、殆どが掌サイズ。 そこに細密に描かれているので、乱視混じりの老眼には厳しい。 同じ問題を抱えた人は多いようで、目鏡君はだいたい目鏡を外して接近して見てた。 勿論、俺も。

常設展では、神谷徹の morrow と、高森明の が良かった。 小さな細密画を立て続けに見た後なので、大きさとゆとりが効いたって気もする。