家族でスーパーに買い物に来て行方不明になった女の子が、死体で発見された。
そのニュースの中で、
なぜ、あんな可愛い子が酷い目にあわなければならないのか
と表現されていた。
命題を 「可愛い子は、酷い目に遭ってはいけない」 とすると、
命題が真なら対偶も真なのだが、そこまで考えての記事なのか? なんてことを考えるのは、被害者家族に共感する要素が少ない故の、心の余裕だろうか。 これが女の子を持つ親なら、可哀想だという気持ちが先にたって、そんなことなんて思いもしないんだろう。 って、これを心の余裕と表現するのもどうかと思うが。
というか、こうした事件で 「可愛い」 と表現するのも、商売のうちなんだよな。 そうした方が事件に関心が向くだろうから、リップサービスも兼ねて。 親にとっては可愛いだろうが、万人向けに本当に可愛いかどうかなんて、ニュースの中の 「可愛い」 とは何の関係も無いのだ。 ま、この子はきっと本当に可愛かったんだろうけどさ。
さて、実際には、むしろ可愛い子の方が酷い目にあう可能性が高いんだよな。 性的被害に限定すれば、 「あんな可愛い子だからひどい目にあう」 の方が現実に即している。 もちろん、だから被害にあっていいって訳じゃ無いんだけどさ。