産經新聞から。
女性に性的な主体性を認めない社会は少なくない。 アフリカの広い範囲では女性器切除によって女性の感覚を破壊し、多くの社会で女性だけに貞操義務を求めたり活動の制限をするなどだ。 これらの社会と比べると、女性が拒むことによるセックスレスが起きるのは、女性の苦痛がなくなっただけ良くなった社会だと言える。
女性が性的に主体となることは、特に男性にとって対処の難しい状況をもたらす。 男性は好きなように自分の欲求を女性に向ければよいのではなくなる。 女性が欲求してきたり、男性の欲求を拒むこともありうる。 女性の性的快感は非常に多彩で複雑だが、男性はわかりにくい女性の快感のしくみにつきあわなければならなくなる。 うまくやれなければ男性は女性から非難され、傷ついて自信をなくす可能性もある。 男性は射精すれば欲望はひとまず解消するが、女性は続けることができるので、男性はその欲望に応えきれなくなるかもしれない。 このような状況を招かないために、男性たちは女性の性的な主体性を奪ってきたといえる。
女が性的に抑圧されていたのは、
というのが主な理由では? 女の性欲につきあいきれなくなるからとかじゃなくて、女の性欲を考慮する余裕なんてない時代の名残でそうなってるんじゃないかと。 もっと言えば、その時代の男は戦争のせいで女と比べて圧倒的に死ぬ可能性が高くなっていて、そりゃもう抑圧なんてレベルじゃないじゃないかと。
ま、問題は、過去がどうだったかじゃなくて今のセックスレスなんだろうけど、今に至る考察を間違っておきながら解決に辿り着くとは思えないんだよね。
ということで、対策を教えてあげよう。 1対1というスタイルを止めればいい。 思うに、1対1を守ろうとするからセックスレスになるし、またセックスレスが問題になるのだ。
1対1ってのは、例えるなら、大量のラーメンを食べ続けるようなものだ。 だんだん冷めてくる。 だんだん伸びてくる。 出来立ての美味しい状態が続いたとしても飽きてくるのに、味は劣化の一途となったら、そりゃ食欲も無くなるだろう。 それでも食べ続けなければならないとなったら、ラーメンが嫌いになるのは時間の問題。
だから、特定の相手を決めず 「気が向いたときに気が合った相手と」 という形にすればいいのだ。 これでできた子供は地域で育てることにすれば、ついでに少子化も解決しそうだな。
まあ、こうなると偏りが今よりももっと大きくなるだろうから、救済のために風俗産業の充実もセットで。 誰からも相手にされなかった人に、自分を相手にしてくれなかった人達が楽しんだ結果としての子供の世話を強制するのは、いくら何でも可哀想だからね。 断られスタンプが10個溜まったら公営風俗1回只券と交換とか、してやればいい。
ところで、筆者の主張内容とは関係ないけど、文章が論述としてはゆるい感じがするのだが、それは文学部の人だから?
アフリカの例として突然持ち出された性器切除だが、日本では行われていないし、日本が取り入れようとした西欧にも無かった。
これらの習慣を持つ社会と比較して、現代日本を
女性の苦痛がなくなっただけ良くなった社会
というのは比較として成り立たない。
文化発展の世界線の外にあった極端な事例を持ち出して今を論じても無意味だろう。
それは
良くなった
というような進歩ではなくて、単に違うというだけのことだ。
ひょっとして、原文はもっとまともだったのを、編集でズタズタにされたのかな。 ああ、これはこれでありそうだ。
今日の月は、いつもより地球に近いのだそうだ。