どうかなぁ
腕で測った体脂肪率が15%だったのが、脚で測ったら20%だった。
例えば、デートの最中、ズボンの前が思いっきり開いていたとする。 もちろん意図せずに。 あるいは後ろが裂けていたでもいい。 自分のそんな状態を、デートの相手から指摘して欲しいか? 相手がそんな状態だったら、それを指摘するか?
そんなことを話していたその人の答えは、 「指摘して欲しくない。 自分がして欲しくないことは相手にもしない主義だから、相手に対しても指摘しない」 というものだった。
俺は逆で、指摘して欲しい。 だから人にも指摘する。 こう言うと、 「自分がして欲しいことを他人にもする」 と聞こえるのだが、実はそんなに積極的な訳ではない。 「気付いているのに放置されるのは嫌だ」 とか 「晒し者にされたくない」 という感覚。 積極的に指摘して欲しいのではなく、して欲しくないこととして 「放置」 があって、 「自分がして欲しくないことは相手にもしない」 という考え方で 「放置」 をしないのだ。 同じことを言っているようでも微妙に違うのだが、判るかな。
と思ったのだが、恥という感情の対象が違うとも考えられるか。 「指摘して欲しくない」 という答えは、デートの相手が感情の対象なんだろう。 で、俺の場合は 「晒し者」 なんて言葉によく表れているのだが、恥という感情は世間に向いているのだな。 とすると、相手に対して指摘するってのも、 「そんなみっともないのをつれて歩いているのが恥ずかしい」 というところから来るのかもしれない。 どこまで行っても自分だけ。
ま、それはそれとして、同じようなことだけど積極性という点が違う2つの考え方
- 自分がして欲しいことを、人にもする
- 自分がして欲しくないことは、人にもしない
極端に言うと、傲慢な善意と臆病な善意。 傲慢な善意は、時に押し付けがましく、相手からすれば迷惑なだけだったりする。 臆病な善意は、実は善意でもなんでもなく、ただ臆病なことの言い訳だったりする。 俺も気をつけなければいけないな。 いや、でもその前に俺の場合は、 「相手が嫌がると思うからわざとする」 なんて時もあるからなぁ…

クワガタのメス。 明かりに飛んできたらしい。
子供の頃は、クワガタやカブトムシを採りたくて夏が待ち遠しかったものだった。 今では、実物を見てようやく 「あぁもうそんな季節だったのか」 と思う程度。 それが、成長したからではなくて、単に疲れているからってのが情け無い。