国立新美術館の ミュシャ展 が今日まで。 だいたいどこでも最終日は混むものだが、幸い今日は月曜日。 駆け込みは昨日の日曜に集中して、今日はそこそこ空いているのではないか。 そんな期待で出かけたのだが。
大変な人混みだった。
チケット売り場に行列ができるのはまあいつものことだが、今日はその横にチケットを買った人達の入場待ちの行列ができていた。 この入場待ちの行列が美術館前の広場を埋め尽くす勢いで、今から並んでいつ入場できるか全く見当もつかない。 逆に入らなくてもはっきり判るのは館内の混雑ぶり。 長々と待って入ったとしても、落ち着いて見るのはほぼ不可能だろう。
ということで、ミュシャは早々に諦めて、近所のサントリー美術館に行くことにした。 こちらは現在 国宝《浮線綾螺鈿蒔絵手箱》修理後初公開 神の宝の玉手箱 を開催中。
全然注目してなくて、たまたま行ったらやっていたという程度なのだが、これが予想外に良かった。 蒔絵凄い。
展覧会の看板は、タイトルからも分かる通り、修復直後の 浮線綾螺鈿蒔絵手箱 なのだが、 俺の中では 秋野鹿蒔絵手箱 や 唐花唐草蒔絵手箱 の方がぐっと上。 いずれも国宝で鎌倉時代の作品。
浮線綾螺鈿蒔絵手箱は、金箔を貼ったのかと思ったら金粉を高蜜度に敷き詰めているそうで、梨地の秋野鹿蒔絵手箱や唐花唐草蒔絵手箱よりも技法的にも金額的にもずっと上なのだが、模様が好きになれない。 柿右衛門や鍋島焼を見たときにも思ったことだが、俺はどうも単調な繰り返しよりも絵画っぽい模様の方が好きらしい。
まあ、単純に保存状態が良くて綺麗だったのも大きいが。 入り口近くに展示してあった箱が、漆が一部浮いていたり色落ちしている所があったりで、その後に綺麗なのを見たから相対的に評価が高まったのもあると思う。 螺鈿の鳥が綺麗だったんだよな。 光の当て方も良かった。
この展覧会で俺が最も良いと思ったのは、近代に模造されたものも展示されていたこと。
展示されている大昔の作品を見て、作られた当時の様子を見たいと思うことはよくあるのだが、それが今回の展覧会にはあった。 ヨーロッパの万博への出品とか、技法の研究とか、政府からの依頼とか、まあ色々で明治以降に作られた復刻版が数点。
その中に秋野鹿蒔絵手箱もあって、これが凄い煌びやかだった。
オリジナルを最初に見た時も綺麗だと思ったが、流石に千年近く前のもの。 色も褪せれば輝きも落ちる。 それはそれで味があって良いのだが、新しいののキラキラ感はちょっと感動的だった。
箱の中身も一緒に展示されていた。 だいたい化粧道具。 昔も今も女ってのは金がかかるものなんだろう。
そんな化粧道具の中に幾つか櫛があったのだが、この櫛がまたどうかしてる。 もちろん褒め言葉。 歯の密度が尋常じゃないのだ。 どうやって作ったのか、家に帰ってから櫛の作り方の動画を検索してしまった程。
結局、見つかった動画じゃどれもあの櫛は再現できそうになかったけどさ。 歯の密度だけなら、薄く削った板を貼り合わせれば再現できそうだが、しかしどう見ても一枚の板を削ってるんだよなぁ。
あともう一つ。
浦島太郎でお馴染みの玉手箱を、俺はこれまでずっと 「玉手-箱」 だと思っていた。 でもあれ 「玉-手箱」 だったんだね。 今日、この展覧会を見ている途中で気付いたよ。