田んぼで殺されていた女子高生のジャージがなくなっているのだそうだ。
ジャージが無くなっていると報道することは、それを見た犯人に証拠隠滅を図らせることにはならないか。 その結果として、事件の解決を遠ざけることにならないか。 その危険を冒してでも、この時点で報道する価値のある情報なのか。
穿った見方をするなら、ジャージ云々を報道するのは、犯人が変態であるほうが事件への注目を集めることが出来るから。 コメント屋に 「ジャージは戦利品」 なんて言わせるのも、犯人が変態性欲者であるとの方向付けのため。
実際はどうなのかね。
香港での聖火リレーで逮捕(保護とも)された、チベット擁護派の女子大生。 彼女がblogで友人のみに公開していたプライベート写真が、ネットの各所に悪口付きで晒されているのだそうだ。 これはまあ、よくある幼稚な嫌がらせ。
しかし、それを報じる中で、それらの写真をテレビに映すのはどうなのか。 嫌がらせで晒すのは駄目だけど、嫌がらせを受けていると報じる中で晒すのはいいのか? 被害者が国内の人なら駄目だけど、海外なら、日本のニュース番組なんてどうせ見て無いだろうからいい?
自己相似形のサンプルとしてよく取り上げられる羊歯の葉は、開く前もやはり自己相似形。