私の肉を食べる者は
SF小説を読みたい。 遠い昔に読んだハードなやつを。
急に湧いてきた欲望に従って Amazon を物色してみたのだが、読みたいと思ったほとんどが絶版だった。 中古の出品がいくつか見つかったが、値段は当時の定価の10倍以上。 これを買うのはちょっと、いやかなり負けた気がする。
じゃあ何か新しいものをと考えて駅の本屋に行ってみたのだが。
本屋で判ったのは、所謂ハードSFが今や絶滅危惧種という現実だった。 まあSFに限らず、小説ってものがもう斜陽な感があるが。
そんな中で充実していたのがライトノベル。 それも 「なろう発」 のような、本当にライトかつタイトルが長いもの。 これらの舞台の多くが剣と魔法のファンタジー世界で、SFと言えなくもないが、俺が今読みたいのはこれじゃないんだよな。
じゃあ自分で書くか。
あの 「なろう発」 の隆盛振りを見ると、そんな考えが頭を過ぎる。 俺でも書けそうなものも多いし。 まあ実際に書こうとすると、思ったよりもずっと難しいんだろうけどさ。

本屋に行く途中、向島用水路で見た魚の死骸。
なんか不自然に揺れていると思ったら、他の魚に、おそらくは同じ種類の魚の子供に食われているところだった。
魚にとって、同種の魚の死体ってのはどうなんだろう。 厳しい自然の中で生きているのだし 「死んだ魚はもう魚じゃない。 魚の形をした肉だ」 なんて考えてそうだよな。 いや、死ぬ前から 「元気過ぎて今は食えない肉」 と認識しているのかも。 群れているのも、自衛のためではなくて、誰かが死んだ時に逃さず新鮮な肉を食うためかもしれない。
で、その肉だが、食ってるのは内臓辺りの柔らかそうな所だけだった。 筋肉は放置。 内臓は新鮮な内じゃないと腐って食えなくなるし、筋肉は新鮮な内は硬くて食えないし、なんて、魚には魚の事情があるのかもしれないが。
そんなことを思いながら本屋に行ったのだが、帰ってきた今、本屋に並んでいた大量の 「なろう発」 の数々が、食いやすいところだけを食ってる魚の子のように思えてきた。 良い悪いではなくて、それで成り立つまでの積み上げができてるんだっていう、ちょっとした感動がね。
本当に、仕事が落ち着いたら自分でも何か書いてみようかな。
仕事が落ち着くのがいつになるのか、そっちが深刻に不明だが。