2017 06 07

西大寺

三井記念美術館で 奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝 を見てきた。 創建1250年記念だそうだ。

4桁の歴史があるのに下二桁が50ってちょっと中途半端な気がするし、東大寺と比べると全然マイナーだし、俺は休みだが世の中的には平日だし、きっと空いてるだろうと思っていたのだが、会場は老人で溢れかえっていた。 寺の宝物って若者よりは老人向けだと思うし、平日に老人が多いのはしょうがないと思うけど、なんでこんなにいるのかね。

いやね、来るなと言ってる訳じゃないんだよ。 長い人生ようやく楽になって、これからは好きな時に好きな絵を見て回るとか、大いにやればいい。 こうした人たちがたくさんいるから美術館もやっていけるんだし。 けどなぁ…

特に婆さん連中が、遅い、煩い、図々しいのフルマーク。 邪魔なことこの上無し。 人が見ているところに体で押しながら強引に割り込んできて、しょうがないからちょっと譲ってやると、仲間を呼んで次々に入り込んできやがる。 爺さんは動かなくて邪魔。 婆さんと比べると数は少ないが、その少ない爺さんはたいてい作品の正面に長々と陣取って動かない。 立ったまま死んでるんじゃないかと心配になるぐらい。 観覧マナーはもうはっきりと若者の方が上。 まあそんな若者も、集団になると一気にレベルが下がるんだろうけどさ。

ああ、でも、だから平日に老人が殺到しているのかもしれないのか。 体力的な衰えで動きが遅い上に、目が悪いせいで一つのものを見るのにどうしても時間がかかってしまうのが年寄り。 基本的なペースが全く違う若者と混ざっていると互いに邪魔だよな。 その辺りを自覚して平日に。 いや、ないか。 あの婆さん連中の行動を見るに、俺同様に平日だと空いていると期待して来ているのだろう。 で、やっぱり俺同様に他の年寄りが邪魔だと思っているのだ。 なんて言ってる俺ももう爺さん寄りの年なんだけど。

で、展示内容だが、これが割と良かった。

五鈷鈴、独鈷杵、三鈷杵、五鈷杵のセットや金細工の香炉(?)もいいが、俺の中でのメインは仏像。

遠い昔、日本史の時間に、鎌倉時代の仏像は武士の時代を反映した厳ついものが多いと習った記憶がある。 その時は、仏像なんてどれもそう変わりゃしないだろうと思っていたのだが、今日の展示を見ると、なるほどこれが武士の時代に好まれる雰囲気なのかと納得する違いがある。 どれも物理的にも精神的にも強そう。 なんかこう、やり遂げる意志みたいなのが見える気がする。 仏教的には、そうした意志の強さみたいなものが表に見えているうちは悟りは遠いってことになると思うが、まあ、この時代はこれでいいんだろう。

何点か平安時代の仏像もあったのだが、こうした雰囲気の中にあったせいか、やたら優しそうで女性的に見えた。 例えるなら、鎌倉時代のは少年漫画のヒーローで、平安時代のは少女漫画のヒーロー。

仏像以外では、叡尊の像の眉毛がすごかった。 老人特有の長い眉を表現しているのだろうが、ぱっと見は角。 副業でガーゴイルをやってますって雰囲気。

あと、毘沙門天に踏まれている邪鬼の顔が、ちょっと可哀想だったな。 顔の右半分を踏み潰されて、残る半分も日野日出志の漫画の主人公みたいになってた。 仏の教えに背く者はこんな酷い目にあうという強いメッセージなんだろう。 で、たぶんこの強さが鎌倉的なのだ。 今の時代なら 「話せば分かるのに踏み潰すなんて酷い!」 なんてことになるのだが、当時はきっと 「踏み潰すぐらいしなきゃ分からないのに踏み潰さないなんて酷い!」 となるのだ。

ちなみに、人集りから判断するこの日の一番人気は 吉祥天立像 だった。 この吉祥天がまた貫禄あるおばちゃんで強そうだった。 経理のお局様って雰囲気。

ところで展示してあった仏像や宝塔だが、西大寺の僧が自分で作るんじゃなくて職人が作ってるんだよな。 あれを作った職人たちは、自分達が作っている物をどう見ていたんだろう。 これで人が救われると思っていたのか、そんな訳ないじゃんと思っていたのか。

今よりも遥かに信仰や宗教にリアリティーがあった時代だから全否定はしないと思うけど、それでも 「俺なんかが作ったこんなもの拝んだところで何も変わらんだろう」 ぐらいのことは思ってそうだよな。