パナソニック汐留ミュージアムでやっている Giorgio de Chirico - 変遷と回帰 を見に行ってきた。
解説によると、 形而上絵画 → 古典主義への回帰 → ネオバロック → 新形而上絵画 と変遷しているのだそうだ。 有名なのは新旧形而上の時代の作品だが、この時代とその間の時代とでは、同じ人が描いたとは思えないぐらいに画風が違うんだよな。 Venise, le Palais ducal なんて王道の風景画でかなりいい感じだったのだが、違うところで見たらキリコの作品とは思わないんじゃないか。 まあ、俺が不勉強なだけなのかもしれないが。
ネオバロックの時代(1940初頭〜)には妻をモデルにしていたそうだ。 まさか20年後の彼女が写実のモデルとしては厳しくなってきたから、新形而上(1960後半〜)にシフトしたってことはないよな。
キリコは、同じモチーフを繰り返し登場させるだけじゃなく、まるで同じ絵をいくつか描いている。 解説には模写とあったのだが、あれは模写なのかね。 俺の場合、絵でもプログラムでも同じで、時間が経ってから見直すといろいろ気になってやり直したくなる。 なので、キリコもきっとやり直したくなったんじゃないかと思うのだが。 で、描き直したら完成度は高くなったけど、その分、元々表現したかった何かが薄くなったような気がして、結局どちらの絵も残してるんじゃないかと。 まあ、俺とキリコじゃ全然違うんだろうけどさ。
あと、燃え尽きた太陽シリーズの太陽から出ているモヤモヤ棒が、影(?)から出ているのと数が同じなのにちょっと笑ってしまった。 対になっているのだから、普通なら鏡像になるように角度を揃えそうなものだが、そっちは無視して数を揃えるのはなぜ? 何だかよく判らない拘りがあるんだろうか。 そんなことは全然気にしてなくて、たまたま同じだっただけなのかな。
絵の他に、絵を立体化したものもいくつか展示してあったのだが、これがなかなか良い感じだった。 出口の店でこれらのペーパーウェイトでも売ってないかと思ったのだが、並んでいるのは絵葉書ばかり。 で、何故かキリコとは何の関係も無い猫のカードケースを買ってしまったのだった。
新橋駅からパナソニック汐留ミュージアムに行く道の途中に並ぶ八角柱。 夜に光る。
周囲は高層ビルばかり。 ビルの隙間をユリカモメが走る。 ビルもユリカモメも夜に光る。
イルミネーションをやっているらしい。 当然、夜に光る。
写真は待ち合わせまでの時間潰しに周囲を歩いて撮ったものだが、展覧会を出て改めて見ると、何だかキリコが喜びそうな景色だな。 絵を見ているときは、輪郭線を描くと現実味が薄くなりすぎて不安感の表現にはマイナスなんじゃないかと思ったが、何だか判らない八角柱にはきっちり輪郭線があるし、イルミネーションの骨組みなんてもう輪郭線しかない状態。 現実味は輪郭線とは無関係だったかもしれない。
ところで、キリコと聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、実はボトムズのキリコ・キュービーだったりする。 神になることを拒み、余命わずかな彼女とコールドスリープで宇宙を漂う異能の無口。 しかし、ボトムズを見ていたのは高校生の時なのに、今でもそれを真っ先に思い出すんだから、若い頃の教育って大事なんだよな。
せっかく思い出したので、ボトムズ風に予告してみよう。
光と陰。
抽象と具象。
戦争の半世紀を経て再び踏み込んだ形而上の世界に、馴染みのモチーフが撒き散らされる。
次回
「変遷と回帰」
キリコの女神は顔のないマネキン。
喫茶店で一休みしてから秋葉原に移動。 人気のフクロウカフェに行ってみるつもりだったのだが、人気過ぎで1時間待ち。 待たずに入るには予約が必須なんだそうだ。 この寒空の下で1時間も待つ元気はないので、入り口からチラッとフクロウを見ただけで撤収したのだった。