土曜日が休みなのは、タイに来て初めて。 ということで、今日はバンコク市内の寺巡り。 タクシーを借り切って、有名どころの寺を3つほど回ってきた。
まずは、ワット・ポー。 別名、涅槃仏寺院。 傾斜の急な屋根に魚の鱗のような瓦。 屋根の端には、唐辛子をもっと長く伸ばしたようなとがった飾り。 そして、壁一面にキラキラ光る石の装飾。 と、建物そのものは、多分アユタヤ様式とでもいう独特のものなのだが、その周りにある石像は、他国の文化の影響を色濃く受けて… と言うか、もろに中国。 一部ポルトガル風。 連れが言うには、 「タイはその時々の強い勢力に擦り寄ることで生き延びてきた」 のだそうだ。 これらの明らかな非タイ風の石像も、その故なんだろう。 何だか得体の知れない、しかしどこか愛嬌があって間抜けな顔の動物(狛犬?)もたくさん。
門を入っていきなり目に入るのが、これらの尖塔。 何の意味があるのかは不明。 何の意味もないのかもしれない。
狛犬だと思うのだが、ぱっと見は猿。 シンプルに猿。
これもたぶん狛犬。 不細工。
これはきっと狛犬。 このタイプは他でもけっこう見かける。 目が飛び出しているのが特徴。
寺院敷地内には、仏像以外にもけっこうたくさんの石造があるのだが、その石像のほとんどが中国風。 今はどうか知らないが、かつては中国の強い影響を受けていたのだろう。
ポルトガル風の石像も。 何でもありだな。
涅槃仏寺院といわれるのは、涅槃仏があるから。 靴を脱いで本殿に入ると、すぐに全身金色の涅槃仏が目に入る。 やたらでかくて迫力はあるのだが、横顔がチビ丸子ちゃんに出てきそうな感じで、ちょっと笑ってしまった。
涅槃物の後ろ頭。 とげとげ。
涅槃仏の横顔。 アルカイックスマイルなんだろうが、むしろ皮肉な笑いに見える。 性格悪そう。 横になっているのに、長い耳朶が垂れずにピンとしているのは、タイ人的な詰めの甘さか。
そもそもなんで寝転がっているのかな。
涅槃物の足の裏。 指の長さが全部同じなのはまあいいとして、この指紋はありえないだろう。
涅槃物の正面側通路には、柱の合間合間に、これまた金色の小さな仏像がある。 参拝客は、金箔を買ってこの仏像に貼り付ける。 汚れとも傷とも見えるのが、参拝客が貼り付けた金箔。
金を払って金箔を買い、その金箔をまた寺に残す訳で、寺からすればいい儲けだな。 金箔はたぶん再利用するんだろうし。
どうせなら、後ろの涅槃仏に貼らせればいいのに。 その方が、金箔を貼り付けたいって観光客も増えると思うぞ。
仏像の背中側通路には、壷のような賽銭箱(?)がたくさん並べてある。 賽銭用のコインを買って、それを全ての壷に順番に入れていくのだそうだ。 実際にやっている人がいたのだが、その人たちにはりついた寺の人が、慣れた手つきで賽銭を回収していた。 ムードも何もあったもんじゃない。
廊下沿いにずらりと並ぶ金の仏像。 タイでは、仏像は金色が基本のようだ。
仏像のポーズが何かに似てるんだよなぁ… 何だっけ、これ? と、連れと何度ものそのポーズを真似して、やっと思い出した。 江頭2:50だ。
メナム川の支流(?)をボートで渡って、ワット・アルンへ。 川は汚いが、海に近い大きな川ってのは、みんなこんなもんだろう。 この辺で物を売ったりしている人は、隙あらば金をごまかそうとするのだが、金額自体が安いのであんまり気にならない。 そういったこちらの感覚も計算のうちなんだろうか。 ま、どうでもいいけど。
ワット・アルン。 別名暁の寺。 石造りの塔が立ち並ぶ。 タイの街中で見かける他の寺や塔と違って、先端が丸い。 急な階段と狭い通路で塔の周りを歩けるようになっているが、塔そのものの中には入れないようだ。 塔の中に空間はあるのかな。 上層を支えるように象られてぐるりと並ぶ石像と、まるで無地に恐怖でも感じているかのように壁面を埋めるいろんな装飾。 遠目には荘厳なのだが…
何で 「暁の寺」 なんだろう?
中学生のときに図書館の本で見たものを、実際に自分の目で見る。 それ自体はある種の感動なのだが、想像していたよりも大雑把な造りなのが、ちょっとなぁ…
壁面に小さな皿が埋め込まれているのだが、それらの皿のいくつかは、日本料理店から持ってきた醤油皿ではないかという疑いが濃厚。 あまり近寄って見ない方がいいかも。
タクシーで移動して、次はワット・プラケーオ、別名エメラルド寺院へ。
金箔とキラキラした石で覆われた建物と、やはり金箔で覆われた尖塔。 その他、仏像、神獣、顔から服から金尽くし。 とにかくキンキラキン。 幸いの晴天にものすごく映えるのだが、これもやっぱり遠くから眺めるべきだろう。 特に建物は、近寄ってみると粗が目立つ。
とんがったものと金色が大好きなタイ人。 とんがった金色って、タイ人的にはもうたまらないものなんだろうな。
幸いの晴天で、壁も柱もキラキラ。
建物の入り口や門の脇には、必ずと言っていいほど、こうした半獣半人の像がある。 人に混ざっている獣は何だろう。 狛犬かな。
複数の頭を持つ蛇も、タイではよく見かける。 ここでは階段の飾りになっているが、他には、仏像の台座など。 とぐろを巻いた上に仏像が座り、もたげた鎌首は5〜7に分かれて、日本の仏像の光背のようになっている。 仏教以前、ジャングルに棲む蛇を神格化していた古代信仰があって、それが新たに伝来してきた仏教に取り込まれたんだろうなどと想像するが、実際どうなのかはさっぱり知らない。
ほとんどが金色だが、たまに違う色もある。 これはこれで、やっぱり派手なんだけど。
廊下の壁は、宗教画らしい壁画で埋まっている。 それぞれの絵に意味があるのだろうが、意味よりも手のような足の方が気になったりする。
壁画を修復しているらしい。 薄暗い明かりの下、ちょっと描いては眺め、暫く眺めてはまたちょっと描く。 筆が入ったところを見ても、何がどう変わったのかよく判らない。 そんな、タイ人らしくない小さな作業の積み重ね。 と思ったのだが…
廊下を歩いて気が付いたのだが、場所によって壁画の画風がけっこう違う。 なかには、いかにも最近の人を描いたようなところもある。 始めからそんな絵だったのか、修復する人の腕が悪くてそうなったのか、気になるところだな。 いや、そもそも修復する気など無くて、好き勝手に描いているだけなのかもしれない。
寺院の中にアンコールワットのミニチュアがあった。 昔、王様がアンコールワットを見て感動して作らせたらしい。 壮大な規模に感動したものをミニチュアにしちゃ台無しだろうと思うが、当時の王様はこれで満足したのかな。
アンコールワットと言えば、 「あれは元々タイのもの」 だとタイの人気女優が発言したとかで、カンボジアで暴動が起きているのだが、こっちには何の影響も無いな。 どうしようもない経済格差に対する嫉妬と羨望、かつてはこっちが上だったのにという思い、いろいろ積もり積もっていたのだろう。 きっかけは何でもよかったのだろうと思う。
暴動のニュースがあった翌日だったか、 「カンボジアのことをどう思うかって訊いたら、鼻で笑いよった。 あの態度で、お互いがどう思ってるか、大体のことは判ったで」 だそうだ。
ちなみに ASEAN の中でのランク付けだと、1位は誰もが認めるシンガポール。 2位が、タイ人はタイだと言い、インドネシア人はインドネシアだと言うそうだ。 後は一絡げのボトムライン。 ま、実際そんなところだろう。
今は中国の正月休みらしく、中国人の団体観光客がたくさん来ていた。 中国人は、とにかくハイテンションで五月蝿い。 かつて、団体であっちこっちに行っていた日本人もこうだったのだろうか。
夜はスカラという鱶鰭専門店で鱶鰭。 美味いけど高い。 高いけど美味い。