2007 09 09

また上野

マヤ・インカ・アステカ展へ。

期間も残り僅かだし、それなりに人が多いんだろうとは思っていた。 が、実際に行ってみると、予想を遥かに上回る多さ。 まずは入場に30分待ちときた。 このくそ暑い中、30分も待てと? 一瞬帰ろうかと思ったのだが、折角ここまで来たのだからと思い直して、列に並ぶ。 そして待つ。 ひたすら待つ。 ジュースが飲みたいとぐずる子供に、そんな子供を放置して話に興じる母親らに、狭い中で日傘を広げている婆さんに、この暑いのにぴったり引っ付いているカップルに、カレーパンの臭いを撒き散らしながら食っているいかにもなデブオタに、ヘッドフォンからシャカシャカ駄々漏らしの高校生に、見るもの聞くもの全てにむかつきながら待つ。 用が無い奴は帰れよ。

とまあ、待ってるだけで挫けそうだったのだが、展示は良かったな。

マヤ。 絵文字が刻まれた石壁が、図鑑やテレビで見たときに感じたほど精緻なものではなかったのには、ちょっとがっかり。 まあ、大きさが違うからなぁ。 デザインはいかにも異文化なマヤ文字だが、構成は、日本語の漢字仮名混じりに近いものらしい。 どれが漢字(表意・表語文字)でどれが仮名(表音文字)なのかは、見てもさっぱり判らないのだが。

アステカ。 戦士の像など、西部劇に出てくるインディアンに通じるものがある。 ような気がする。 同じルーツの文化なんだなぁ…なんて勝手に納得してみたり。 しかし、何だかいろいろ血生臭い感じ。 生贄ってのはまだ判る。 でも、王の自己犠牲ってどうよ。 流した血の分だけ幸せになれるからって、性器に針を刺そうなんて思いつくか? マゾなのか?

インカ。 マヤ,アステカと一括りにされているけど、地理的には結構離れている文明。 文明の形もかなり違う。 文字が無いとか、ミイラを作ってみたりとか、頭の形を変えてみたりとか、頭に穴を開けてみたりとか。 その為か、マヤとアステカが主に物の展示だったのに対して、インカの展示は人(ミイラや人骨)がメイン。 あの地では、死後に放っておくと自然とミイラができるらしい。

展示を一通り見た後で思うのは、これらの文明がもうばっさりと断絶してしまっている現実。

マヤやアステカの文字で記された文書は、スペイン人(主に宣教師)によってほぼ全てが焼き捨てられた。 インカの黄金は、スペイン人によって溶かされ、本国に持ち去られた。 これらの地域の人々が大量に死んだのは、主にスペイン人が持ち込んだ伝染病によってだが、強制労働や虐殺も酷かった。

虐殺も文化の破壊も、当時はともかく、今の意識では許されるものでは無いだろう。 アメリカも、針小棒大な日本の慰安婦問題に対して非難決議なんてしてないで、自国とその近所の過去に目を向けろよ。 今の意識で過去を非難するなら、まずはこっちではないか。 スペインとカトリックの500年前の行為に非難決議を。 次いで、自らのネイティブアメリカン虐殺に非難決議を。

とまあ、なんだかんだ言ってるが、この日一番のインパクトは、常設展で見た生きているアニサキスの映像だったりする。 あれはきた。 あと、マヤ文明が栄えたユカタン半島だが、 「ユカタン」 ってちょっと可愛い響きだよな。

マヤ・アステカ・インカ展のついでに、常設展の方にも入ってみた。 こっちはこっちで、なかなか面白い。

これは、初期の計算機だそうだ。 現在コンピューターで使われている加算回路の機械的な実装だろうか。 見た目には、これで何が計算できるのか全く判らないな。

人体模型

江戸時代、蘭学者(医者)たちが使っていた人体模型。

妙にリアルな、困ったような顔、浮き出た肋骨、突き出た腹。 それらとは対照的に、かなり投げやりな造りの手足。

見ていてちょっと気になったのは、これが何を再現しているのかということ。 当時の庶民の平均的な姿だったのか。 自らの臓器を売るような、生活のためにこうした場所で働く人々なのか。 或いは、たまたま選ばれた特定の個人なのか。 「深川三丁目の留吉さんを完全再現!」 みたいな。

飲食養生男

物を食べた時に、体の中の各場所でどんなことが起きるかを示す絵図。

体内で人が働いている絵に、妙な親近感を覚えたりもする。 いつの時代も発想は同じなんだな。

飲食養生女

女体秘奥之図。

家に帰って写真を拡大して見て気付いたのだが、男の体内にいるのは男ばかりで、女の中は女ばかりなんだね。

剥製

剥製。 だと思う。

とても良く出来ているのだが、そのせいで、少々不気味な感じもする。 恨みがましい視線を感じたりとか。

操り人形

操り人形。

人形を操る男の仕草が、また操り人形のようだった。 きっと、何かに操られているのだろう。 自分の意思で、自分の思う通りに、人形を操っているつもりの男だが、その全てが、何かに操られてのことなのだ。

そうしてこの男を操っている何かも、更に高次の何かから操られているのだ。 その何かもまた…