後でちゃんと読もうと思って抜き出しておいた新聞紙が、気がつけば結構な量になっていたりする。 自分の腹を見ているようだ。 そろそろちゃんとダイエットしなければ。 という訳で、積ん読記事から一つ。
逮捕を伝える2日朝刊社会面では、 「ロリコン趣味の45歳」 の見出しで、菅家さんが週末を過ごしていた趣味について 「少女を扱ったアダルトビデオやポルノ雑誌があるといい、少女趣味を満たすアジトになっていたらしい」 との記事を掲載した。
記事は、県警担当の記者が菅家さん逮捕の約1週間前、県警幹部から取材をした情報がもとになっていた。 別の複数の捜査幹部からも 「逮捕できるだけの直接証拠ではないが、状況証拠の一つだ」 との感触を得ていたことから、菅家さんの逮捕直後に記事にした。
しかし、県警の捜査で少女を扱ったアダルトビデオなどは発見されなかった。 このため、翌3日の朝刊社会面の記事で 「ロリコン趣味を思わせる内容のものはなかった」 と修正したが、菅家さんについての予断や偏見を読者に与えた可能性はある。
これ、 2009年6月27日の読売新聞社会面 足利事件 本紙報道を検証 からの抜粋。
記事全体を通して、検証というよりは言い訳に近い内容。 DNA鑑定の信頼性だとか、反対意見も載せただとか、間違った記事には修正もしただとか。 それならそれで、反対や修正の有効性を、例えば 「文字の大きさと文字数による記事量の比率に、記事出現順による印象の減少率を0.6として…」 なんて定量的に示すぐらいのことをすればいいのだが、そーゆーのはやらないんだよな。 こうして、新聞に対する予断が、俺の中で作られていくのだ。
「ロリコン趣味の45歳」 は、予断を持たせるための見出しで、予断を持たせたいのは、その方がニュースにしても盛り上がるから。 見出しレベルで報じたことを見出しレベルで訂正しないことについては、突っ込んじゃ駄目。 詳細中に訂正は入れておいたから、アリバイはOK。 というか、この検証記事自体がアリバイ作り。 だって、商売なんだもん。
なんて感じで。
しかし、ロリコン趣味を持ってしまった人は、いろいろ大変だな。 性についてはかなり趣味の多様性(?)が認められてきているように思うが、ロリコンだけはこの先も認められそうにないし。 ロリコンに走ってしまった人に対して、 「大人の女性に相手にされないから」 というのはよく聞くが、そうなってしまった理由は語られないまま、本人が非難されるばかり。 ロリコンから抜け出させることについても、同じ。 支援は一切語られず、ただ責められるだけ。 むしろロリコンを犯罪に追い込んでいるようにも思えてくるよ。