2000 04 13

勝手に同じ穴に

「三国人」 発言でテレビに登場の石原君。

単に外国人という意味で使った。 差別し侮蔑する意図は無い。 辞書にもそのような意味で載っている。 説明の部分を省略し、殊更にその部分だけを強調して報道されるのは遺憾だ。 謝罪する必要は無いし、辞任もしない。 しかし、この言葉は今後は使用しない。 懲りた。

テレビで見た石原君のコメントは、大体こんな感じだった。

石原君については、実はかなりの小心者ではないかと思っている。 彼がいつも必要以上に攻撃的な姿勢なのは、小心な自分を隠し、守るためではないか。 或いは、小心な自分を認めることができず、自分自身に対しても虚勢を張っているのかもしれない。 防衛か補償か、いずれにしても彼の行動の根っこにあるのは、小心さではないか、と。

今回の 「三国人」 発言も、この流れだろうと思う。 わざと。 演説の内容を考えてるときから、今回は 「三国人」 で行こうと思っていたのだろう。 辞書も、この段階で既に確認済みではないか。

三国人
  1. 当事国ではない国としての外国人
  2. 戦中に連れてこられた朝鮮人の蔑称

勿論、辞書を引かなくても知っていただろうが、そこは小心者だから。 そして、第1が本来の意味であることに満足したことだろう。 この言葉を敢えて使い、問題になって、正当な理由(?)により謝罪を拒否する。 これにより、 「圧力に屈しない自分」 を(自分にも)見せられるのだから。

ひょっとしたら、もうずっと前から、いつか使ってやろうと狙っていたのかもしれない。 ことある毎に中国を 「シナ」 と呼ぶように。 あれも、 「外国の顔色を窺ってびくびくしない自分」 の演出だ。

なんて考えるのは、俺にそういうところがあるからだな。 「ちょっと恐そう」 なんて言われることが多い俺だけど、本当は、刺の奥で縮こまっているウニみたいなもんなのだ。 ということで、刺ごと優しく包んでくれる方を募集です。 いっそ食べちゃってください。 とろけます。 俺が。

追記

三国人とは、戦後すぐは、開放された朝鮮人の横暴に対する恐怖感のこもった言葉だったらしい。 これが蔑称に変わっていったのは、そのときの気持ちの裏返しだろうか。 或いはマスコミ絡み?