そろそろ帰ろうかと時計を見たところで父から電話がかかってきた。
「鍵が無くて家に入れんのじゃ」
「鍵はバッグに付けてるはずだけど、無い?」
「バッグには何もついとらん」
「取っ手の留め金に鎖をつけて、外側のポケットに入れておいたんだけど」
「鎖も何もついとらん」
電話を介護施設の人に代わってもらって話をしたのだが、やはりバッグに鍵はついていないとのこと。 まさかと思って確認したら、どうもバッグが違うらしい。 わざわざ前の日に必要なものを準備し、今日出かける前に 「ここに置いておくからこのバッグを持って行って」 と言っておいたのだが、それとは違うバッグを持って行ったってことか。
鍵の着いたバッグを持って行ってないなら、じゃあ出かけるときはどうやって鍵をかけたのだろうか。 介護施設の職員によると、朝はマンションの入り口まで父が自分で来たので、そのまま施錠を確認せずに車に乗せたとのこと。
「送迎のときに施錠を確認することになっているはずですよね?」
「はい。 そのはずなんですが、私供も大変ショックで…」
お前らのショックなんてどうでもいいよ。
すぐに職場を出ても家までは30分ぐらいかかる。 なので、一旦は施設に父を連れて戻ってもらい、家に帰ってから連絡してあらためて送ってもらうことにした。
家に着いて玄関を開けると、今朝用意したバッグがそのまま置いてあった。 父の部屋を覗くと、いつも散歩に持って行くバッグが無い。 そういうことか。
介護施設に電話。 すぐに出発するが、道路が混む時間帯なので10分ぐらいかかるかもしれないとのこと。
しかし、10分どころか30分経っても来ない。 いくら何でも遅いので施設に電話してみたが、誰も出ない。 どうしたものかと考えていたら、父から電話がかかってきた。
「さっきから暗いところで一人で待っとるんじゃが、どうしたらええんかの?」
「一人で? 周りに職員はいないの? ちょっと電話を代わってほしいんだけど」
「誰もおらん」
「そう。 じゃあこっちから電話して、すぐに家まで送るようにいうから、もうちょっと待ってて」
「わかった」
再度電話。 今度はちゃんと出た。
「家に着いてからすぐに電話して、その時はかかっても10分ぐらいって話だったんですが、まだそこを出てないんですか?」
「はい、今責任者とお詫びの準備をしていて…」
「お詫びの準備と、父を送ってくることと、今優先すべきはどっちですかね」
「はい、あの、それは送って行くことだと…」
「送って行くことだと判っているけどそうしないってことですか。 それは何故ですか?」
「いえ、あの…」
「まあ百歩譲ってお詫び優先だとして、10分ぐらいって話が変わっているのに何の連絡もしないのは何故ですか?」
「はい、あの、申し訳ありません。配慮が足りなくて…」
「配慮、ねえ。 さっき父から電話があったんですが、暗くて広いところに一人で待たされているらしいですね」
「いえ、職員が傍にいるはずですが」
「電話を代わってもらおうと思ったんですけど、周りに誰もいないと言ってましたよ」
「そんなはずは無いんですが…」
「じゃあ、父が嘘をついているってことですか?」
「いえ、そういう訳では…」
「それで、結局どうするんですかね。 すぐに父を送ってくるのか、お詫びの準備が終わるのを待たせるのか」
「はい、すぐに送らせて頂きます。 それから夜に改めてお詫びに伺いたいと思いますが…」
「その頃はちょうど夕食ですが、食事は後にしてまずは詫びの言葉を聞けってことですか?」
「あ、いえ、そういう訳では…」
「基本的にそっちの都合優先ですよね。 送るのを後回しにするとか、詫びにいつ行くとか、何でこちらに先に確認しないんですかね」
「はい、色々配慮が足りなくて、申し訳ありません。 あの、夜は何時頃であれば…」
「詫びに来るなら日を改めてください。 まずは父を早く連れてきて下さい」
「はい、すぐに出ます。 色々申し訳ありません」
時間がちょっと遅くなったせいか道路の混雑は無かったようで、電話を切ってから10分もかからずに父が帰ってきた。
帰ってきた父に、何で玄関に用意しておいたバッグを持って行かなかったのかと訊いたら、 「いつも外に出るときに持って行くのはこっちじゃけぇ」 だそうだ。 きっとこれからも、バッグはいつも使っているものを持って行くんだろう。 ちょっと小さいけど、今度からはそっちに必要なものを入れることにするか。
送ってきた職員と責任者(?)には、詫びにくるなら土曜日に、問題の原因と対策、再発防止策を示すようにと言って帰した。
まあしかし、改めて振り返ってみると、何かクレーマーっぽいよな、俺。 揚げ足を取ったり、重箱の隅を突いたり。 言ってる内容は間違ってないと思うけどさ。 いや、文句を言うより、施設を換えることを考えるべきなのか。 問題を起こした後なのでしばらくは大丈夫だと思うけど、いずれ熱りは冷めるだろうし。 ケアマネージャーに連絡しておくか。