今日も上野で美術館巡り。
東京都美術館は、前に大英博物館展で来た時はシルバーデーで老人だらけだった。 電車の中でそのことを思い出して、今日は違うよなと美術館のサイトを確認したら、シルバーデイではなかったがパパママデーだった。 館内に子連れが犇めく様を想像して軽く負けた気分だったのだが、入ってみれば、館内の子供率は普段と変わらなかったような気がするな。
展示はほぼ歴史の順。 初期の作品は、教科書や参考書で見たことがあるものばかり。 美術の授業で模写したものも幾つかあった。
教科書や参考書の小さな絵と実物とでは印象がかなり違うってのは、だいたいどの展覧会でも思うことだが、二科展の初期の作品ではその違いがかなり大きく感じられた。 熱気とか迫力とか、もう圧倒的。
ただ、解説にちょくちょく出てくる 「二科展好み」 が具体的にどんなものなのかは、全体を通して見ても今一つ判らなかった。 エネルギッシュな感じ? 落選した作品と見比べると、何か傾向が見えてくるのだろうか。
まあ、二科展好みが判ったから何をするってこともないんだけどさ。 せっかくだから俺の好みを挙げておこう。
ここまでの展示品は 「なんか凄いな」 という印象だったのだが、これを見た時は 「なんか良いな」 だった。 美人を期待させる後ろ姿が良い雰囲気の作品。
母が東郷青児が好きだったせいで、子供の頃にカレンダーでよく独特の女の人の絵を見ていた。 それらに対しては 「ふーん」 という程度の感想しかなくて、俺の中での評価は今一つだったのだが、このピエロで急上昇。 ピエロ強そう。
今年の5月にブリヂストン美術館で見るまで知らなかった画家なのだが、知ってから目にするこの人の作品はだいたい好み。 この作品もそう。 人を描いているわけじゃないのに、そこに確かに人がいたって感じがするのが良い。
木下孝則は今日まで知らなかった画家なので、帰りの電車の中で他にどんな絵を描いてるんだろうと検索してみたのだが。 その結果、俺の中の評価は、せっかくの良い雰囲気を顔を描いて台無しにする残念な画家になってしまったのだった。
東京都美術館を出て、ほぼ隣の東京芸術大学美術館へ。 ここの展示室は割と狭いのだが、梯子で見る分には、その狭さがちょうど良い。 体力的に。 ただ狭いなりの展示数で、ちょっと物足りないのも確か。 若干値段が安いのもそのせいか。
昔、というのは広島に住んでいた頃だが、家の階段に面のセットが飾ってあった。 15cmぐらいの小さな能面が、確か五つぐらい並んでいたはず。 ずっと飾ってあるので慣れてしまって普段はなんとも思わないのだが、それでも、ふとした瞬間に目に入ってぞくりとすることがあった。
そんな感覚を感じられることを期待していたのだが、そっち方面では完全に期待外れだった。
怖さの演出が響かないのは、時代が違うからだろうか。 それとも俺が余計な経験を積んだからか。 考えてみれば、子供の頃に見た地獄絵図はかなり怖かったんだよな。 今見ても何ともないのに。 とすると、本当にあるかもしれないと思う気持ちが恐怖の源泉だってことだろうか。
儚げな美人画というもう一方の期待も微妙な結果に。 おどろおどろしく形を崩すものが主流で美人画っぽいものは少なく、たまにあっても技量が今一つだったりする。 ポスターになっているものが突出して良いが、あとは有象無象という感じだった。
貶してばかりなのもどうかと思うので、その突出して良かったものを挙げておこう。
盆などで父方の田舎に泊まった時には蚊帳の中で寝ていたのだが、あれには外を怖く感じさせる効果があるんだよな。 誰かが外に立ってこちらを見てそうな。
でもそれがこの幽霊ならむしろ歓迎という美人。 もう毎日でも出てもらって構わないが、出たら出たで触れられないことに悶々とするのかもしれないな。
伝円山応挙とあるので、正確には判っていないのかもしれない。 しかしきっとそうなんだろうと思わせる雰囲気。 視線が合うように目を描いていればもっと良いんじゃないかと思うのだが、どうだろうか。
そうそう、足を描かないという幽霊画の定番スタイルは、円山応挙から始まったのだとか。
帰り道にティッシュを配っている人がいて、遠い昔、秋葉原に行ったらメイドからティッシュを渡されたことを思い出した。 メイドのみやげ…
東京都美術館の外壁がちょっと良い感じ。
東京都美術館から東京芸術大学美術館に行く途中で遭遇した行列。 何に並んでいるのかは判らない。
東京芸術大学の隅に積まれていた瓦。 このまま朽ちていくのだろう。
東京芸術大学。 芸術っぽい感じはしない。