金曜日から妹のところに行っていた。 広島から父も来ていて、久し振りに4人揃って食事など。
父は、最近カメラ付きの携帯を買ったのだが、携帯のカメラが随分と気に入ったようだ。 手軽なこともあって、とにかく写真を撮りまくっている。 人、風景、花、釣った魚からレストランで出された料理まで、もう手当たり次第。 「いよぉ〜」 なんて間抜けなシャッター音で。 そしてもちろん、撮った写真を見せまくる。 写真を見せて、 「見てみぃや、綺麗に撮れとろうが」 と、 「うん」 と言うまで繰り返す。
日曜日に都庁に連れて行ったのだが、そこでもやっぱり撮りまくっていた。 都庁の全貌を撮るのに、カメラだけ上に向ければいいものを、カメラを固定したまま体ごと反り返って 「なかなか一番上まで入らんのぉ」 などと言いながら。 さらには、俺のデジカメで自分を撮ってくれ、と。 あっちの前で一枚…こっちを背に一枚…俺のメモリーカードは、今や親父アルバム状態。 まあいいんだけど。 父の日だし。
ちょっと気になったのは、妹のこと。 しばらく見ない間に随分と痩せてしまっていた。 やつれていると言った方がいいぐらい。 仕事がかなりきついらしい。 母が言うには、 「嫌と言えない、人の言うことばかり聞いて、とにかく自分が我慢する性格」 だかららしい。 すぐに文句を言う人や扱い辛い人には甘く、文句を言わない人にその分厳しく当る上司。 何かと人に手伝いを頼むくせに、自ら人を手伝うことは無い同僚。 そういった、まあどこにでもありがちな人間関係の中で、損な役割を引き受けてしまい、どんどん仕事がきつくなっているのだと。 母は、上司や同僚に腹を立てる一方で、そんな妹の性格を 「情け無い」 とも評していた。
ま、事情の説明はかなり一方的だし、少々割り引いて考えなければならないのだが、俺から見ても、妹には確かにそんなところがある。 情け無いと言えば情け無いのだが、そう責めるよりも、なぜそんな性格になったのかを考えた方がいいだろう。 性格は、環境、つまり子供の頃の親兄弟との関わり方の影響が大きいと思うからだ。 情け無いのは、情けなくなるように育てたからなのではないかと思うからだ。
「お兄ちゃんは頭がいいけど、かおりさんはそれ程でもないから、何か技術を身に付けておいた方がいい」
子供の頃、母がよく言っていたこと。 今覚えているのはこれだけだが、似たようなことをいろんな場面で言っていたのだろうと思う。 この言葉、ひっくり返せば、 「何の取り得も無いやつは駄目だ」 となる。 これはこれで正しいのだが、それをあまりにも早い段階で刷り込まれるのはどうだろう。 何かしら人に誇れる技術が身に付けばいいのだが、本人が自分の持つ技術に自信をもてなかった場合、全てにおいて自信が持てなくなるのではないか。 それでも、人は人に認めてもらいたいもの。 自信が無いなら、せめて人の言うことを素直に聞く 「良い子」 になることで認めてもらおうとするのかもしれない。
ちょっと前に読んだ本にこんなことが書いてあった。
子供が病気をしたときに急に優しくなることは、子供に対して 「健康であってはならない」 というメッセージを送ることになる
明らかに心配の自然な発露すら、否定的なメッセージとして取られる可能性があるらしい。 難しいものだな。