ニワトリを飼育して、成長したら料理して食べる。 そんなことをどこかの学校でやろうとしたら、親連中から 「残酷だ」 とのクレームがついて、中止になったのだとか。
「いろんな価値観を認めよう」 と言うとき、そこには、例えば憲法に出てくる 「公共の福祉に反しない限りに」 のような但し書きが省略されていて、それはわざわざ言うまでもないことだから言わないのだが、たまにその省略部分を綺麗さっぱり忘れている人もいて、そんな人を見るとつい 「じゃあ、他の価値観を一切認めないという価値観も認めるのか?」 なんて嫌味を言いたくなって、実際に言って嫌な顔をされたりするのだが、その嫌な顔は単に不意を突かれたからであって、自分が想定している 「いろんな」 の意外な狭さに気が付いてのことではないのだと勝手に決め付けて、さらにいろいろつついたりしながら話を聞いてみると、その人が言う 「認める」 ってのは単に 「そんなのもある」 と言うだけで、それに対して何一つ理解をしようとするわけではない、それは例えば 「日本には外国人が住んでいます」 といい、 「外国人であっても差別したりせず、日本人と思って接しています」 なんて言ってるようなことなのかとも思ったが、考えてみれば俺も 「あ、金髪の外人さんだ!」 と思い、 「金髪の外人のくせに貧乳だ!」 と思うことはあっても、それ以上に何か理解しようとはこれっぽっちも思わないので、いや貧乳を否定しているわけではなくて、最近とある人から 「貧乳も裸眼立体視すると飛び出す巨乳かも」 と言われて、なるほど正面から見れば交差法での立体視に適しているようにも思えてきて、さっそく画像サイトで手頃なのものを探してやってみたら、飛び出して見えるのは乳首だけだった。
やはり、実際に体験してみないと判らないことはたくさんあるものなのだ。