最後の浮世絵師

八王子市夢美術館に行ってきた。 都心の美術館や博物館は道中も館内も感染が心配だが、ここならそんな心配は不要。 現在 最後の浮世絵師 月岡芳年展 を開催中。

館内はそう広くないのだが、展示品はそこそこ多い。 展示はジャンル毎。

  1. 芳年の壮 芳年の武者絵
  2. 芳年の想 芳年の歴史画
  3. 続物の妙
  4. 芳年の妖と艶
  5. 報道
  6. 月百姿

章立てが仕事の幅広さを示す構成だが、各章内もそこを意識しているように見える。 これまで浮世絵然とした浮世絵ばかり見てきたので、報道はなかなか新鮮だった。

浮世絵らしい美人画も多かった。 西洋絵画風の物もあったが、本人的に納得いかなかったのか、商業的にうまくいかなかったのか、数は少ない。 展示品が少ないだけなのかもしれないが。

型に嵌まったものが多い女の絵に対して、男の絵は自由。 そして躍動感がある。 歌舞伎での男女の演じ分けとも通じるのは、記号的な男女差、共通認識みたいなものがあったのだろうか。

女でも老婆だと躍動感が出てくるのが面白い。 婆さんは女じゃないってのも共通認識か。 と思ったが、動きの激しい婆さんは妖怪の並びだったような…。 動けないはずの老婆が激しく動くことが、怖さの表現の一つなのかもしれない。

以下、印象に残っているもの。

一魁随筆 山姥 怪童丸

構図も顔も西洋絵画の聖母子像を意識したように見える。 この方向をもっと突き詰めた先を見てみたい。

新形三十六怪撰 老婆鬼腕を持去る図

躍動感溢れる老婆。 実は老婆に化けた鬼。 脱ぎ捨てられつつある女の着物だけ描写が細かいのが良い。

新形三十六怪撰 ほたむとうろう

新三郎に恋した末に焦がれ死んだお露と、お露の後を追って死んだ下女お米。 死んだはずの二人が新三郎のもとに通う姿なのだが、幽霊っぽさは微塵も無い。

お米が楽しそうなのは、お露と共にありたいという思いを遂げているからだろうか。

新形三十六怪撰 二十四孝狐火之図

色鮮やか。

新形三十六怪撰 葛の葉きつね 童子にわかるるの図

葛の葉は、何を思って女に化け、子まで産んだのだろうか。

一説には、狐は人を堕落させるために、その人の理想の姿に化けるとか。 理想の姿でなら化かされてみたいが、もうそこそこ堕落してる俺のところに狐は来ない気がするよ。

新形三十六怪撰 清姫日高川に蛇体と成る図

説明文に 其半身は蛇躰と変じなんなく河を泳越せし とあることから、蛇に変じたのはきっと下半身だろう。

パンツなら脱がなきゃいけないが、腰巻なら蛇になる時に邪魔にならない。 西洋で蛇になる話をあまり聞かないのは、下着の文化の違いなのかもしれないな。

月の百姿 姥捨月

解説文中の 複雑な青年の心境とは裏腹に月の光は優しい が心に残っている。

横山町二丁目商店街

京王八王子駅から美術館に行く途中にある、横山二丁目商店街。 あまり繁盛しているようには見えないが、この幟は良い感じ。