どこかの本屋でちらっと見て、それ以来ずっと実物を見てみたいと思っていた吉田博。 ちょうど今、損保ジャパン日本興亜美術館で 吉田博展 山と水の風景 をやっているので見てきた。 生誕140年だそうだ。
展示はほぼ時代の順。 まあ人でも流派でもたいていの展覧会は時代の順なのだが、今回はその時代の幅が広くて、名が売れる前どころか子供の頃の絵から展示されていた。
その子供の頃の絵が、正直ちょっと嫉妬してしまうぐらいの上手さだった。 さらっと描いているちょっとした線からもセンスが溢れる感じ。 絵で身を立てた初期の水彩画も同様で、とにかく上手い。 絵を見て、こんな風に描いてみたいと思うことはあっても、こんな風に描けるようになりたいと思うことはあまりないのだが、今日は少し謙虚な気持ちになったよ。
これがだんだん油絵風の水彩画になるにつれて良さも少しずつ損なわれてきて、本物の油彩画は今一つ。 いったいどうしてしまったのか。 あれだけのセンスがあっても、慣れない道具だとこんなものなのか? なんて思いつつ、何でもできる訳ではないと知って少し安心したりもしている俺の立ち位置が自分でも判らない。
版画になってまた良さを取り戻す。 版画でこれを? という技術的な驚きもあるが、そういうのを割り引いてもやっぱり良い。 展覧会のサブタイトルが 「山と水の風景」 で、そう謳う通り確かに山と水は良いのだが、たぶん山や水そのものよりも、その中で間接的に表現されている光や空気の感じが良いんじゃないかと思う。
版画は、実物を見るのと図録で見るのとであまり印象が変わらないし、近くで見ても遠くから見てもあまり印象が変わらない。 と思っていたのだが、今日のは全然違ったな。 原寸大を少し離れて見るのが、きっと表現したかっただろう光や空気を一番感じられる見方なんだと思う。
あれ? この大きさでこの距離がベストポジションなら、さっきの油絵の大きいのはもっと離れて見る設計だったのでは? と思い至って振り返ってみると、近くで見たときは今一つと思った大きな山の絵は 「まあまあ」 程度に良く見えた。 まあまあ。
人物画は微妙。 人を描くのはあんまり得意じゃないのかと思ったが、これは微妙な人物を忠実に描いた結果かもしれないのか。 モデルが若い頃のアグネス・ラムだったら、全然違った評価をしたかもしれないな。
最後の方に戦闘機の絵が幾つかあったが、そのうちの空中戦の絵の躍動感が凄かった。 見ていると体が勝手に傾きそう。 当時は戦意高揚につながる絵しか許されなかったのだろうが、展示の絵やスケッチブックからはあまり窮屈さのようなものは感じられず、むしろ珍しいものが見れたと喜んで描いてそうな感じだった。
そうそう、版画だが、通常は多くても十数種類の色で刷るところを、吉田博の場合は何十色も使うのだそうだ。 色に拘る当然の結果で刷りにも拘り、刷りの現場に張り付いて妥協を許さなかったとのこと。 以前、葛飾北斎の展覧会で浮世絵の工程を見て以来、浮世絵を彫り師や刷り師の苦労を思うことなしには見れなくなっているのだが、今日のはもう感心を通り越して同情するレベル。 連れのお嬢さんと 「これ絶対ブラック職場だよね」 なんて話しながら見てた。
ミュージアムショップにあった本には
黒田清輝を殴ったといわれる男
と書いてあった。
「殴った」
じゃなくて
「殴ったといわれる」
なのが微妙。
殴ったのか、殴ってないのか、はっきりしてほしいものだな。
美術館の入り口から見る都庁舎。 展望台は雲の中。