異世界への誘い

原宿駅

久し振りに原宿に行ってきた。 何年振りだろうか。 通過することはあっても降りることはほとんどなかった原宿駅は、改めて見ると、古さが一周して良い感じになっていた。 駅周辺にやたら外人が多いのは、今でも若者向けファッションの発信地だと思われているからだろうか。

原宿で降りたのは、 異世界への誘い - 妖怪・霊界・異国 を開催中の太田記念美術館に行くため。

太田記念美術館は今日が初めて。 外から見て小さな美術館だと思ったが、入ってみればやっぱり小さかった。

しかし展示品が小さくて場所を取らない浮世絵ばかりなので、小さな展示スペースでも展示数は多い。 今日は全部で70点ぐらい展示されていた。

展示品は、展覧会のタイトルの通り主に妖怪だったのだが、この妖怪たちがだいたい可愛い。 これらを当時の人がどう感じていたのかは判らないが、現代を生きる俺にはどれも何となく可愛く見える。 考えてみれば、悪戯するのはだいたい子供。 人でも動物でも。 これが妖怪にも当てはまるなら、人の世に悪戯しに出てくるのも子供の妖怪が多いのだろう。 皆なんだか可愛い雰囲気なのは、そのせいかもしれない。

しかし妖怪と霊界と異国を同列に扱うのは、どうなんだろうね。 まあ、江戸から明治にかけてなら西洋人が妖怪に見えても不思議はないけどさ。 でも 「人外」 と混同しているとはいえ 「外人」 という言葉を狩ろうとする人もいるこの時代に 妖怪・霊界・異国 と並べるのは、なかなか攻めたタイトルだよな。

気になった作品をいくつか挙げておこう。

素戔嗚尊と山田大蛇 勝川春亭

ヤマタノオロチと仮名が振ってあったが、どう見ても龍。 大蛇(オロチ)感は無い。 首も分岐していない。 だから当然だが、頭は一つ。 八岐大蛇とは同音の別物かもしれない。 山田だし。

雷光の図説 豊年魚 作者不詳

描かれているのは豊年魚。 つまりは魚なのだが、見た感じはゴジラ。 控えめに言って蜥蜴。 手も足もあり、口を開けば舌もある。 尻尾の先に鰭があって、そこだけがかろうじて魚だった。

木曽街道六十九次之内 妻籠 安倍保名葛葉狐 歌川国芳

安倍晴明の母である葛葉が、正体が狐とバレて家を去る話。 人の姿が薄くなり、狐の姿が濃くなる、移り変わりの場面。

障子に書き残された歌の情景を吹き出しの中で絵で示していて、これがなかなか斬新だと、連れのお嬢さんには好評だった。

新形三十六怪撰 葛の葉きつね童子にわかるるの図 月岡芳年

同じく葛葉が去る場面。 立ち去る女の、見た目は人だが、障子に映る影は狐。 この演出はいいのだが、全体の情感では国芳にやや劣るか。

しん板かげゑづくし 小林幾英

赤の地に妖怪のシルエットをたくさん並べたものだが、その中に 「あんまさん」 がいた。 妖怪扱い。 今の倫理基準なら、そこだけ差し替えられそうだな。

異国のコーナーで、アメリカを 「亜墨利加」 と表記しているものが多数。 今なら 「米」 を当てているところが 「墨」 なのが気になった。 これを 「メ」 と読むのだろうか。 まあ、当時はそうだったんだろう。 少ないながらも 「亜米利加」 表記もあったし。

同じポイントに別方面からの疑問が、連れのお嬢さんから。

「そういえばなんで米国なの?」

「米をメイと読むからじゃない?」

「そこじゃなくて、他の国に倣うならア国になるんじゃない?」

「ああ、そこ」

「アから始まる国なんて他に無さそうだし、もし有っても、当時の影響力を考えたらアメリカがアで良さそうでしょ?」

「それはメイにアクセントがあるからだね」

「アクセント?」

「そう、アクセント」

メイリカ?」

「それ。 アクセントのないとこは発音しなかったりするし、当時の日本人にはきっとメイリカに聞こえたんだよ、メイリカは」

「あはは。 面白いけど、それ本当なの?」

もちろんその場の思いつき。

とまあ楽しく見て回ったのだが、一つ問題だったのは、展示の一部が畳の間だったこと。 当然靴を脱いで上がるのだが、これが微妙に面倒。 そして何より、今日の俺は靴下に穴が空いていたのだ。 出かけるときに靴を履こうとして気付いたのだが、靴を脱ぐこともないだろうとそのまま出かけたんだよな。 それがまさかの畳の間。 畳の上にいる間はずっと穴の開いた部分を指で挟んでいたのだが、なんとか誤魔化せたのだろうか。