2011 09 16

儂が!

意外と知られていない、実は日本生まれのもの。 そんな記事を読んだ。

ウィルキンソン

1889年(明治22年)に日本に定住していたクリフォード・ウィルキンソンが、兵庫県で天然の炭酸鉱泉を狩りの途中にたまたま見つけ、この水をロンドンに送り分析してもらった結果、医療用・食卓用として優れていることが分かり、鉱泉水を瓶詰めにして販売することを企画したことから始まりました。

当時のブランド名は仁王印ウォーターでしたが、1901年(明治34年)に王冠を使用した瓶で再度販売を開始。 1904年(明治37年)にザ・クリフォード・ウヰルキンソン・タンサン・ミネラルウォーター・カンパニーとして、ブランドもウヰルキンソン・タンサンと改めたそうです。

モンブラン

もともとフランス・パリの老舗カフェ「アンジェリーナ」が原型のケーキを作っており、東京都自由が丘のケーキ店「モンブラン」初代店主・迫田千万億が1933年(昭和8年)にフランス・シャモニーを旅した際に知り、販売の許可を取ったとか。

おおもとはイタリア・ピエモンテ州の菓子という説もありますが、わが国で広く知られる黄色いマロンクリームが乗った「モンブラン」は、日本生まれの菓子のようです。

エドウィン(EDWIN)

エドウィンの名前はデニムのスペル(DENIM)の「D」と「E」を逆転し、「NIM」を180度反転して「WIN」として命名したのがはじまり。 アメリカのジーンズに対し「江戸が勝つ」で「EDWIN」としたとも当時の社長は語っているそうです。

バービー人形

初期のバービー人形は日本製。

当時の日本はアメリカに比べ人件費が安く、繊維産業が盛んで人形と着せかえる服を同時に発注できることでメーカーのマテル社より米国向けのおもちゃとして販売が開始、爆発的にヒットしました。

エビのチリソース

中華料理人の陳建民が日本で中華料理店を営むため、四川料理の「乾焼蝦仁(カンサオシャーレン)」をもとにエビのチリソースを作りました。

乾焼蝦仁は豆板醤や中華スープ、酒などで作る純粋に辛いソースでエビを炒めますが、エビチリは日本人の口に合うよう、それに砂糖やトマトケチャップを加えたもの。 彼の工夫によって、現在のようなエビチリが広く普及したそうです。

モンブランとバービー人形を日本生まれとするのは、ちょっと強引じゃないだろうか。 あと、ウィルキンソンやエビチリのように、外人が日本で作ったものを日本生まれというのも、なんかちょっと納得できないような。 記事の最後は その他にも、ナポリタンや天津飯、ドトールコーヒーなどは日本生まれということで有名 とあったが、これらもきっと微妙な縁起なんだろう。 けどまあ、確かに知らなかったことばかりだな。

なんて思いながら読んでいたのだが、最後の署名で一気に信憑性が無くなった。

文:江田島平子

この名前、どう考えても塾長の関係者だろ。

しかし、何だろう、不幸なのかな、この名前。 きっと一時期は散々からかわれたんじゃないかと思うのだが。 ということで、と繋げるのは苦しいものがあるが、モンブランについては間違いを正しておこう。

悶不乱(モンブラン)

二度の元寇後、鎌倉末期の北九州には、蒙古の再度の侵攻に備えて、常に兵が駐屯していた。 そこでは、蒙古軍の兵器「てつはう」に対する鍛錬として、イガ栗のイガが割れて剥けるまで、裸の体に投げつけることが行われていた。 普通であれば悶え苦しむ苦痛を、表情すらも乱さずに受け切ることで完成としたことから、この鍛錬法は悶不乱と呼ばれた。 尚、鍛錬で使用した栗は当時は貴重だった甘い菓子として加工され、鍛錬の達成者に振る舞われていた。

その後、蒙古の衰退により駐屯地は廃止され、この鍛錬法も廃れてしまったが、そこで振る舞われていた栗の菓子はこの鍛錬法の名で残り、後の世で改良を重ねることとなった。 それが現在のモンブランである。

民明書房刊 「驚異の中世日本史」 より。