ウィーン・モダン
国立新美術館でやっている ウィーン・モダン - クリムト、シーレ 世紀末への道 を見てきた。
18世紀半ばマリア・テレジアの頃から20世紀初頭までのウィーンの街の変貌と、それに伴って変化するアートシーンを見せる展示構成。 まあ歴史なので、見せ方も歴史の授業と同じ。 過去は駆け足で、時代が新しくなるに従って詳しくなる。
- 啓蒙主義時代のウィーン
- ビーダーマイアー時代のウィーン
- リンク通りとウィーン
- 1900年 - 世紀末のウィーン
という展示構成だったのだが、展示品の数は公比2の等比級数的に増えていた。
以下、印象と感想の羅列。
序盤はほぼ肖像画。 マリア・テレジアの肖像画の額の上部中央に、小さな肖像画がくっつけてあった。 幼い頃のヨーゼフ2世だそうだ。
マリア・テレジアの女王即位に端を発したオーストリア継承戦争。 女王の保護を名目に介入するプロイセンを、このヨーゼフ誕生をきっかけに押し返したそうで、この親子は、単に親子というだけではなくオーストリア史的にも不可分なんだろう。 だったら普通の母子像のように一緒に描けばいいようなものだが、なぜ額の上に額なのだろうか。 この絵を描いた時はまだ生まれてなくて、後から付けたのかな。
フリーメイソンの集会の様子を見たおばさん連中が 「フリーメイソンって本当にあったんだね。 私、都市伝説だと思ってた」 なんて言ってた。 土建屋の共済組合から始まったらしいフリーメイソンだが、小説や映画で手垢にまみれてしまったからなぁ。 フィクションだと思っている人も多いのかもしれない。
ウィーンの街は、ヨーゼフ2世の時代に、街の城壁を取っ払って城壁跡地を市民に開放したことで劇的に発展したのだそうだ。 ちょっと前までプロイセンやフランスなどの周辺国から侵攻を受けていたのに、城壁の撤廃。 周辺国が程よいバランスで緊張・膠着状態にあったからできたのだろうが、反対も大きかったことだろう。
あとは開き直りか。 ここまで攻め込まれたら城壁なんて無意味だし。 みたいな。 腐ってもハプスブルグ家。 衰えてきたとはいえ、金ならまだある。 でも軍隊は弱い。 だったらもう金を貯めることに専念しよう。 隣国のその向こう、イギリスあたりと同盟して背後に不安を抱かせるとかで今の緊張・膠着状態を保っておけば、国防もなんとかなるだろう。 みたいな。
シューベルトが主役の夜会をシューベルティアーデというそうだが、このシューベルティアーデを描いたユーリウス・シュミットの ウィーンの邸宅で開かれたシューベルトの夜会 の女が、髪型以外は良い感じだった。 あんなのからちやほやされるなら、そりゃシューベルトもやる気が出るだろう。
三つの最も嬉しいもの というタイトルの絵に描かれているのが、酒と音楽と女だった。 選択から漂う駄目人間臭。 でも絵から伝わるのは生真面目さ。 この絵を描いたフリードリヒ・フォン・アメリングには、享楽に流される人、或いは流されても生活できる人への憧れがあったのかもしれないな。 しかし描かれている女は女装のココリコ田中で、俺とはきっと趣味が合わない。
いつものことだが、ハンス・マカルトの絵は華やか。 真夏の夜の夢 とか、色が絵からふわりと浮き上がる感じが良い。 割といろんなところで見かけるが、見るたびにちょっと感動する。 今日の展示では、落ち着いた色調の絵が続いた後にこれという演出効果もあって、見た瞬間に感嘆の声を漏らす人が多かった。
そしてウィーン分離派。 こうして歴史を追いながらだと、分離派を自称する彼らが確かに新潮流であったことがよく判る。
展覧会のサブタイトルが示す通り、看板はクリムトとシーレなのだが、素描が多かったせいか、あまりメインという感じがしない。 以前見たモローの素描は、何を求めて描いているかがはっきり判って面白かったのだが、クリムトもシーレも、ちょっと当たりを付けたぐらいのところで終わってるんだよな。
写真撮影可だった エミーリエ・フレーゲの肖像 が、東京都美術館のクリムト展で見た 17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像 と同一人物だと知った時は驚いた。 いや、タイトルを見ればすぐ判ることだが、タイトルって流し見るだけだからね。 こっちを描かれた時は28歳だそうだ。 俺の目には、17歳が28歳で、28歳の方はもう40代ぐらいに見えた。 ちなみに17歳の方が好き。
黄色いドレスの女 が印象的。 マクシミリアン・クルツヴァイルが妻をモデルに描いたそうだが、これ、奥さんを自慢したくて描いてるんじゃないかと思う。 しかもその自慢が 「俺ん家の奥さん、頼んだら踏んでくれるんだぜ。 それも蔑むような目で見ながら」 なんて方向だったりするのだ。
分離派(ポスト分離派?)の若手によるカードサイズの絵の数々は、もうそのまま現代のイラストだった。 100年ぐらい前なのだが、古さはあまり感じない。 マリア・シュトラウス=リカルツとか、割と好き。
絵以外では、食器や家具やドレスなども展示されていたが、これらはあまり響くものがなかったな。 金属の食器のキラキラ感は今一つ。 当時ようやく庶民のものとなりつつあった椅子は、現代の椅子の直系の先祖って感じで、デザイン的な面白さはない。 服は興味ない。
近代建築の設計図や模型は面白かった。 製図用具で描いたと思われる綺麗な直線や曲線の中に、手描きで彫刻などの装飾が埋め込まれていて、これが意外に上手い。
そういえば、中学校の技術の時間に製図をやったのだが、下手な奴は下手だったな。 製図用具を使うのだから誰でもそれなりに綺麗に描けるんじゃないかと思っていたのが。 だいたい絵が上手い奴は製図も上手で、絵が下手な奴は製図も下手だった。 あれは手が動くかどうかの違いなのかな。
設計図上の彫刻が、模型として立体化された時に若干修正されているのも面白い。 設計図だから当然だが、立体化された時をイメージしながら描いているだろう。 でも実際に立体化してみると、やっぱりこうしたいってところが出てくる。 羽はもうちょっと広げて、逆に手の間は狭くして、杖は右手に持たせた方がバランスが… みたいなのが。
設計図、模型、本物(の写真)と並べられると、このあたりの感覚を追体験できる気がするよ。

美術館の前にガラスの東屋があった。 前に来た時は無かったような気がする。

六本木駅から美術館へ向かう道。 六本木感は無い。

同じ道の端。 解体工事中。

赤い月。

拡大しても赤い。