本屋に第一巻から数十巻までずらりと並んでいて、ずらりと並んでいるからという理由で手をつけないでいたのが、グインサーガ。
ある日、 「俺、1巻から全部持ってるから、読むんだったら貸してやってもいいよ」 と言われて、 「じゃあ、ちょっと様子見で」 と、第1巻を借りた。 主人公が豹の頭に人の体だと聞いて、あんまり期待してなかったのだが、読めば読むほど続きが気になる。 結局、毎週十冊のペースで借りて、当時の最新刊まで読んでしまったのだった。 確か大学2年のときのこと。 貸してくれたのは本田君だったかな。
それからもう10年。 このところけっこうハイペースで出ていて、本屋には今、第75巻が平積みされている。 作者の自称は全百巻。 どうなるのかね。
さて、その第75巻。 いきなり後書きを立ち読みしたのだが…
自分も作家だから、書いた物に対する責任は持つし、それを批判されることも受け入れる。 自分の作品を嫌う人がいることも認める。 しかし、作品が嫌いだからといって、作者に対する罵詈雑言を無責任に垂れ流されるのは、納得いかない。 それはやっぱり違うだろう。 オフ会などで、同じことを面と向かって私に言えるのか。
と、そんな感じのことが書いてあった。 ネット上の掲示板だか会議室だかで、かなり酷い攻撃をされているのだそうだ。 ま、ありがちなんだけどね。
誹謗中傷は、嫌いだからやるんじゃない。 あれは、面白いからやるのだ。 悪口を言うのは楽しい。 言われた本人が、きりきりと怒って、でも誰に怒っていいのか判らなくて悶々としているのを見るのは、もっと楽しい。 作品がどうとか、栗本薫本人がどうとか、大して問題じゃないのだ。 適当に有名で、ちょっと悪口を言うとムキになって怒るような人たちがたくさんいるのがいい。 しかも、悪口を言われた本人がそれを本に書いたりした日には、 「これは俺が書かせたんだよ」 と、舞い上がってしまうのだ。 そして、それをネタに、 「全然判ってないよな」 なんて、また悪口。
と、そんな風に俺は想像するんだけど、実際のところはどうなんだろう。 どうでもいいか。 しかし、この手のくだらない言論にかぎって 「言論の自由」 を振りかざすような気がするな。 せっかくの言論の自由が、生類憐れみの令のように思えてくるよ。 ひょっとして、そう思わせることが狙いの、政府の回し者か? あ、いや、生類憐れみの令は少年法か。