昨日は風邪で休み。 「新型インフルエンザで大量に死亡」 なんてテレビを見た後だけにインフルエンザの可能性も考えるが、高熱も関節の痛みも無いし、ただの風邪だな。 死ぬことは無いだろう。
獅子座流星群は、今朝の明け方が見頃だったそうだが、俺はぐっすり眠ってた。 まだ少しは見えるかもしれないと仕事帰りに見上げた空は、残念ながら雲ばかり。 それでも僅かな隙間はあって、ぽつりぽつりと覗いている星に目を凝らす。 で、視界の端で一瞬ちかっと光ったのを 「あれは飛行機のライトだな」 と否定し、また一瞬きらりと光ったのを 「電線に車のライトが反射したんだろう」 と否定したところで、ちょっと笑ってしまった。 流れ星を見たいと思っているのに、それらしきものを見た端から否定してどうするよ。 いや、もちろん流れ星とライトの区別がつく人間でありたいと思っているのだが、そーゆーのをあんまり考えずに、見たいものが見えたと思い込めると楽しいんだろうな。 って言い方は、ちょっと嫌味っぽいか。 「こいつ、俺のことが好きなのかな?」 と思っても、 「いや、そりゃないか。 勘違いだよな」 と自分を戒めるのに似てる…と一瞬思ったのだが、全然違うな。 ライトであると否定するのは、本物の流れ星を見たいと思う積極性。 勘違いだろうと引いてしまうのは、臆病からくる消極性。 勘違いかもしれないと思いつつも、一歩ぐらい踏み出す勇気があってもいいだろう。 足りないのは勇気。 流れ星が見えたら 「もうちょっと勇気を」 とでも願うかと、また空を眺めるのだが、肝心の流れ星はさっぱり。 あっという間に家に着いて、玄関のドアを開けると、出し忘れた生ゴミが少し臭っていた。 現実は厳しい。