2000 05 20

また葬式

葬式を2回経験している。

最初が、小学校3年のとき。 そのとき死んだのは、母方の祖父だった。 死人を間近に見たのはそのときが最初だったが、死ぬってのはこんなもんかと思っただけだった。 別に悲しくは無かったのだが、周りが泣いているので、俺も泣いてみた。 泣いたのは正解だったと思う。 「最後のお別れを」 と棺の蓋を開けて花を入れたとき、花よりも老人の臭いがした。

燃えるのには結構時間がかかった。 当然、じっと待っているはずがない。 外に出て、火葬場を探検した。 窓のないコンクリートの建物があった。 1階建ての家よりも少し低く、狭い階段がついていた。 階段を上った。 マンホールのような蓋がポツポツとあるだけだった。 蓋の一つを開けて、中を覗いてみた。 そこにあったのは、無数の人骨だった。 慌てて蓋を閉め、家族の待つ控え室に逃げ戻った。 自分が何を見たのかは言えなかった。 言ってはいけないような気がしていた。

焼きあがった祖父の骨は、あの建物の中のものとは違って、粉々になっていた。

「焼けて肉が離れるとこうなるんですよ」

職員の説明に、そんなもんかと思った。

2回目は、母方の祖母だった。 どんな様子だったのか、ほとんど覚えていない。 何時のことだったかもはっきりしない。 その後は、仕事が忙しいのを理由に、葬式には出ていない。

テレビで、宇宙葬なんてのを取り上げていた。 長さ10cm幅2cm程のカプセルに人骨を入れて、宇宙にばら撒くのだそうだ。

10年ぐらい前、既に地球付近の宇宙での渋滞が問題視されていた。 人工衛星は、その残骸も含めて、この先どんどん過密になる。 今後の宇宙開発では、これらとの衝突を真剣に考えなければいけない、と。

状況は、当時よりも悪くなっていることだろう。 そこに宇宙葬。 「ちょっとぐらい」 って理屈なんだろうな。 「タバコの煙が大気汚染を進める」 と言うのと同じぐらいのイメージか。

プログラミングは、仕事でやるのはたるいけど、遊びだとあんまり疲れない。 プログラミングに限ったことじゃないか。 今日も JavaScript + IE5 で ドラゴン無駄無駄