葬式を2回経験している。
最初が、小学校3年のとき。 そのとき死んだのは、母方の祖父だった。 死人を間近に見たのはそのときが最初だったが、死ぬってのはこんなもんかと思っただけだった。 別に悲しくは無かったのだが、周りが泣いているので、俺も泣いてみた。 泣いたのは正解だったと思う。 「最後のお別れを」 と棺の蓋を開けて花を入れたとき、花よりも老人の臭いがした。
燃えるのには結構時間がかかった。 当然、じっと待っているはずがない。 外に出て、火葬場を探検した。 窓のないコンクリートの建物があった。 1階建ての家よりも少し低く、狭い階段がついていた。 階段を上った。 マンホールのような蓋がポツポツとあるだけだった。 蓋の一つを開けて、中を覗いてみた。 そこにあったのは、無数の人骨だった。 慌てて蓋を閉め、家族の待つ控え室に逃げ戻った。 自分が何を見たのかは言えなかった。 言ってはいけないような気がしていた。
焼きあがった祖父の骨は、あの建物の中のものとは違って、粉々になっていた。
「焼けて肉が離れるとこうなるんですよ」
職員の説明に、そんなもんかと思った。
2回目は、母方の祖母だった。 どんな様子だったのか、ほとんど覚えていない。 何時のことだったかもはっきりしない。 その後は、仕事が忙しいのを理由に、葬式には出ていない。
テレビで、宇宙葬なんてのを取り上げていた。 長さ10cm幅2cm程のカプセルに人骨を入れて、宇宙にばら撒くのだそうだ。
10年ぐらい前、既に地球付近の宇宙での渋滞が問題視されていた。 人工衛星は、その残骸も含めて、この先どんどん過密になる。 今後の宇宙開発では、これらとの衝突を真剣に考えなければいけない、と。
状況は、当時よりも悪くなっていることだろう。 そこに宇宙葬。 「ちょっとぐらい」 って理屈なんだろうな。 「タバコの煙が大気汚染を進める」 と言うのと同じぐらいのイメージか。
プログラミングは、仕事でやるのはたるいけど、遊びだとあんまり疲れない。 プログラミングに限ったことじゃないか。 今日も JavaScript + IE5 で ドラゴン無駄無駄