19年前に置き去りにした夢の話
雪山の奥にある旅館に泊まっていた。 納品したシステムの不具合対応のための出張。 俺と同僚の二人で。
その日に予定していた作業は特に問題なく終わり、旅館に戻って、食事をして、風呂に入って、すっかり寛いでいた。 というか退屈していた。
田舎にはよくあることだが、テレビはNHKと民放が一つだけ。 見たいものがない。 最初は珍しかったローカルCMも、それしかないのですぐに飽きた。 ネットも繋がらない。
これが街中なら散歩にでも出かけるのだが、雪山じゃそうもいかない。 もう4月も後半なのに、人の通り道は足首までの雪。 道を外れたら腰ぐらいまでの雪。 しかも街灯がまばら。 窓から見える範囲はだいたい闇だ。
死にたいなら外の散歩だが、死にたくないので旅館の中を散歩することにした。
近所に、と言ってもバスで20分ぐらいかかるのだが、大きな発電施設がある。 俺同様にそこへの納品や保守で出入りする人の利用が多いのだろう。 スキーシーズンを過ぎているにも関わらず、山奥の旅館は意外に賑わっていた。 老舗らしい建て増しの繰り返しによる迷路のような廊下も、どこを歩いても人がいる。 そして明るい。 明る過ぎるぐらい。 その明るさに若干違和感は感じたものの、家具や壁は年代物で、見て歩くのは楽しかった。
フラフラ歩いて、旅館の売りの一つである大浴場の前を通りかかったときのこと。
「多分ここですよ。 ほら、大浴場の向かいで、引き出しが4つ並んでて」
俺の少し前を歩いていた浴衣姿の男三人組が、廊下の壁に作り付けの大きな箪笥の前で立ち止まった。
狭くはない廊下。 少々人が溜まっていても俺が通る邪魔にはならないのだが、なんとなく立ち止まって彼らを見ていた。
「あ、あった。 これこれ」
引き出しを順に開けていた彼らが取り出したのは、どうやら玩具らしかった。 カット売りの大根程度の大きさの円柱形。 色も大根のような白。 側面に大きな口があって、その中にあまり上手じゃない人の顔があった。 どーもくんを白くして、手足を切り落として、口を縦に無理やり広げて、口の中に友蔵じいさんの絶叫している顔を描いた、といえば想像できるだろうか。
俺には薄気味悪く見えるそれは、何かのキャラクターらしい。
「俺、子供の頃はこれになりたかったんだよね」
「これに? ちょっと趣味悪くない?」
そんなことを言いながら戻っていく男たち。
その後ろを、玩具と同じ頭部を持つ白い人が歩いていた。 白の全身タイツに白いどーもくんの被り物をした白い友蔵じいさん。 友蔵じいさん、顔はもちろんだが目も白かった。
あれ? さっきまであんな人いなかったよな?
そんな疑問に、入り組んだ廊下のどこかから出てきたんだろうと理屈をつけて、俺も自分の部屋に戻った。
翌朝、大食堂で食事を済ませて自室に戻るとき、昨日の三人とすれ違った。 今日で帰るのだろう。 三人とも大きめのバッグを肩からぶら下げていた。 その一人が、あの白い玩具だった。 昨日の全身白タイツが普通にスーツを着てネクタイを締めて、首から上は昨日の玩具だった。 被り物じゃない。 どう見ても昨日の玩具なのだが、他の二人は何の違和感もないのか、普通に話しながら旅館を出ていった。
なんだ、あれ…
自室に戻るついでに昨日の棚のところに行ってみたら、引き出しが少し開いてて、そこに昨日の玩具があった。 玩具の口の中には、これになりたかったと言っていた男の顔があった。 元の玩具と同じ、絶叫の顔だった。 元の玩具と違うのは、白一色じゃないこと。 口の中の顔は青黒く、目や口の端に赤い色が滲み出ていた。
ここに至って、ようやく恐ろしくなってきた。 入れ替わりに気付いたと悟られてはいけないような気がして、引き出しをそっと閉め、駆け出したいのを我慢して早足で部屋に逃げ帰った。
それでも仕事はする。
仕事の帰り、旅館に向かうバスの中で同僚にその話をするのだが、信じない。 まあ、信じないのが普通なんだけどさ。 なので気味悪くはあったが、箪笥の前に連れて行った。
で、引き出しを開けるのだが、朝にはあった玩具が無い。
あれ? こっちだっけ?
いくつか引き出しを開けたが見つからず、もう一度最初の引き出しを開けてみると、そこにあの玩具があった。
「あ、あった。 これこれ」
「それを見せられても、だから人と玩具が入れ替わる話を信じろって無理ですよね?」
「まあ、そうですね。 でもなんでさっきは無かったんだろう」
「奥の方に転がっていたとか?」
「いや、そもそも奥がないですよ、ほら」
「あー、確かに。 あるのに気付かない色でもないですよね」
「カラクリ仕掛けかな」
「或いは願ったから叶ったとか」
「願ったから叶った?」
「だってほら、玩具を探したら見つかって、玩具になりたいって言ったら入れ替わったんですよね?」
「なるほど。 今も玩具を探してたから見つかったのか」
「まあ、ありえないですけどね」
「ですよねぇ…。 そんなのがあったら、ここで毎日…」
ここで毎日、引き出しの中に札束でも探して暮らす。 そう言いかけて踏みとどまった。
そのまま風呂に入り、大食堂で軽く飲んだ。 朝は何時にとか明日の予定を決めながら部屋に戻る途中で、同じぐらいの歳の男に声をかけられた。
「あれ? 違ったらすみませんが、渡邊さんじゃないですか? 塾で数学と理科教えてた」
「あ、はい、そうですけど… って、あ! うわ! すっごい久しぶり!」
学生時代のバイト仲間だった。 同じ塾で、彼は中学生に英語を教えていた。 随分と肉付きが良くなっているが、人懐っこい笑顔は変わらない。 聞けば奥さんとスキーで来ているとのこと。
「実はここ、思い出の場所なんですよ。 19年前にここにスキーに来た時に、今の嫁さんと出会ったんですよね」
「じゃあ夫婦で思い出の地なんだ。 そーゆーの良いですよね」
「いや、多分嫁さんの方は印象微妙だったと思いますよ。 自分、電話番号聞いて煙草の箱に書いておいたら、その煙草を無くしちゃって」
「あー…」
「それで翌日、まだ泊まってるはずだからと嫁さん探して、昨日番号聞いたのに無くしちゃったんで、もう一回教えてくださいって」
「それは確かに、奥さんからしたら嬉しいような呆れるような」
黙って話を聞いていた同僚が、脇を突っついてきた。 言いたいことが判る。 ちょうど俺も同じことを考えていた。
「その時の煙草、見つかるかもしれませんよ?」
「え?」
「ここ、落し物とか、結構長く預かってくれてるらしいんですよ」
「そうなんですか? そりゃ見つかったら嬉しいけど、煙草ですからね。 落し物扱いされないんじゃないですかね」
「まあでもあればラッキーだし、見てみたらどうです? 小物の預かり物は、確かこの引き出しですよ」
そう言いながら引き出しを開けた。
中には何もなかった。
一瞬考えた。 さっきも最初は空だったが、他の引き出しをいくつか開けて、それからもう一度開けてみたら見つかった。 他の引き出しを同じ順番で開けてみるのは、試してみる価値があるのではないか。
「あれ? こっちだったかな?」
なんて言いながら、さっきの順番を再現して引き出しを開けていく。 それから、最初の引き出しを開けた。
「これじゃないですか?」
「えっ? あっ! そう、これ! ほら、ここ、19年前に書いた電話番号!」
「よかったですね」
「ありがとうございます。 本当に見つかるとは思いませんでしたよ。 あれ? でも19年も経ってるのに、全然古くなってないような…」
「引き出しの中だし、浴場の前でもあるし、日光による劣化も乾燥による劣化も抑えられるんじゃないですかね」
「おー、さすが理科の先生。 でも本当に嬉しいです。 ちょっと嫁さんに見せてきますよ。 それじゃまた」
本当に嬉しかったのだろう。 小走りで去っていく背中まで嬉しそうだった。
振り向くと、同僚が何やら考え込んでいた。
「正解でしたね」
「そう、正解でした。 確かに正解でした。 でも、どう正解だったんですかね」
「願ったから叶った。 ですよね?」
「そう、願ったから叶いました。 でも、どうやって?」
「引き出しを開ける順番… のことではなさそうですね」
「ええ。 手順じゃなくて手段というか…」
「手段?」
「いや、思い過ごしならいいんだけど、何か…んー…カレンダーとかありますか?」
カレンダーと聞いて、俺にも彼が何を心配しているのか判ってきた。 今は風呂上がりの浴衣姿。 時計もスマートフォンも部屋に置いていて手元に無いが、見たいのはそんなものじゃない。
願いはどう叶ったのか。 19年前の煙草が見つかった。 それは、19年前の煙草をここに持ってきたからなのか、それとも…。
辺りを見回してみた。 カレンダーは見当たらないが、ちょうど旅館の中居が通りかかったので訊いてみた。
「ちょっとすみません、今年って何年でしたっけ」
「今年? 2000年ですけど…」
可能性として予想していた答えではあっても、実際に聞かされるとダメージは大きい。 2000年… 19年前…
愕然としている俺たちを怪訝そうにみていた中居が、ふっと怖い顔になった。
「お客さん、ひょっとして、そこの引き出しを開けたんですか?」
旅館の人ならなんとかしてくれるかも知れない。 そんな希望もあって、引き出しを開けたこと、それが2019年だったことを正直に話した。
中居に連れられて旅館の主人のところに行った。 旅館の主人からは、この地に古くからある寺に行くことを勧められた。 そこならなんとかしてくれるかも知れないとのことだった。
翌日、同僚と二人で、紹介された寺に行った。
旅館からは一本道だった。 迷うような道じゃないとのことで案内もないのだが、実際迷いようのない道だった。 不思議なことに、寺に向かう道には雪が全く無かった。 周囲は野原。 東京の4月のように、春の草花があった。
20分程歩いて辿り着いた寺には、塀などの境界を示すものが何もなかった。 庭がそのまま周囲の野原に続いていた。 そこが庭だと判るのは、雑草が周囲より少ないから。
そんな庭に敷物を敷いて、尼さんが座っていた。 俺と同じか少し上の歳の頃。 何か海苔のようなものを、刃物で細かく切り分けていた。
旅館からの紹介で来たことを告げると、手水舎に連れて行かれた。 俺たちが来た道とは建物を挟んだ反対側にあって、傍には小さな鐘楼もあった。
手を清めながら、尼さんから訊かれることに答えた。 どこから来たのか。 いつ来たのか。 いつ帰る予定なのか。 端的に言うと尋問のようだが、実態は世間話。 もうすぐ何とかの祭りがあるが、それを見て帰るのか? というような調子だった。
話したのはほんの数分だったと思う。 ほんの数分、そんな軽い世間話をした後、何とかなると思うので旅館に戻るようにと言われた。 もっと大袈裟な儀式みたいなことをするんじゃないかと思っていたので、世間話だけして帰るのは拍子抜けだし不安でもあった。
旅館に戻ったら2019年だった。
礼を言おうと、すぐに寺に引き返した。 さっき通った野原の中の一本道を歩く。 この道を歩いている間に19年が過ぎているはずなのだが、足元の草花は、さっき歩いた時のままのように見えた。
その草花の丈が低くなってきたので、そろそろ寺の庭かと視線を上げた先に、あの尼さんがいた。 敷物に座って何か海苔のようなものを刃物で細かく切り分けている尼さんは、すっかりお婆さんで、さっきよりも随分と小さく見えた。
「先程はありがとうございました」
「先程? 失礼ですが、どちら様でしょうか」
「あ、そうですね。 先程というのはこちらの主観なんですけど、19年前です。 2019年から2000年に迷い込んだのを送り返して頂きました」
「19年前…」
しばらく俺たちの顔を見ていた尼さんだが、ポンと手を一つ打って笑顔になった。
「思い出しました。 19年前に東京からいらした」
「ええ、そうです。 あの時はありがとうございました」
また少し世間話をして、旅館に戻った。
その辺りからあやふや。 かつてのバイト仲間はどうなったんだろう。

中洲に咲く菜の花。 水辺にしか咲いてないのは、川の流れに運ばれて来た種だからだろうか。

ボロボロの揚羽蝶。 こんな羽でも飛べていた。
蝶の大きな羽は、飛ぶということのみで考えれば、ほとんど無駄なのかもしれないな。