質問
朝、サンデープロジェクトを見ていた。 自民党の加藤、民主党の菅、共産党の志位が、金融を中心とした経済対策について討論するというもの。 その再建には、思い切ったリストラであるとか、破綻すべきは破綻させるとか。
午後、ザ・ノンフィクションを見ていた。 山一証券でエリート社員だった人達。 未だに職が見つからない人とか、清掃会社に再就職した人とか、他の証券会社で収入が10倍になった人とか。
「改革には痛みを伴う」 ということになっているらしい。 「大きな目的のためには、多少の犠牲はやむを得ない」 という考え方は、 「一人一人を救えないのに、大きな目的が達成できるはずがない」 という考え方よりも、現実的で即効性のある場合が多い。 しかし、誰かの無責任のしわ寄せとして、 「多少の犠牲」 にされてしまうのは、あまりにも報われない話ではある。
学生の時、塾講師をしていた。 授業中にふと思いついて、次のような質問を、中2(中3だったかもしれない)の生徒にしてみたことがある。
今まさに、2隻の船AとBが沈もうとしている。 あなたは、片方の船の乗員だけを助けることができる。 船Aには、あなたの一番大事な人が一人だけ乗っている。 親兄弟でも恋人でもいいから、今現在で一番大事な人だ。 船Bには、100人が乗っているが、そのほとんどは知らない人だ。
さて、あなたはどちらを助けるか?
ほとんどがB、数人がA、数人が判らない、という答えだった。 もう一つ、条件を追加してみた。
さっきと同じ状況だが、あなたは無人島にいる。 助けた人と、しばらくはそこで暮らすことになる。 さて、あなたはどちらを助けるか?
どっちにしようか迷っているうちに両方沈没ってのが最悪のパターンだから、無理矢理どっちかに決めるように注意しておいて、さあどっち? と聞いた結果、Aが一人、残りは全員がBだった。
いい大人がどう答えるかが、興味のあるところ。 どちらを助けるか、簡潔な理由とともに示せ。