2009 07 21

豪雨

豪雨による土砂崩れの土石流が老人ホームを襲い、現在7人が消息不明。

そのニュースの現場が山口県の防府市だってことでちょっと驚き、ニュースを見ながら地図で調べて、そこがかつて住んでいた場所の近くだと知って更に驚いた。 近くと言っても、自転車なら30分ぐらいはかかる場所だが。 住んでいたのは、小学校2年から5年まで。 そのままそこに住んでいれば、今ちょうど避難場所として使われている右田中学に行くはずだった。 今はどうか知らないが、当時は強制坊主頭。

当時の俺には、この三つが、中学生になることだったんだよな。

で、不謹慎ながら、懐かしい景色が見れるんじゃないかと、避難場所や下流の状況などが映るのを見ていたのだが、懐かしいのはもはや地名だけだな。 相変わらず田舎ではあるのだが、記憶の中の光景とはかなり違う。 しかしそれでも、懐かしい地名が被災地として現れるのは、全然知らない土地よりも心が痛むものだな。

父が、叔父に、無事かどうか電話していた。 徳地の叔父の家は、護岸工事の直後だったこともあって、大きな被害は無かったらしい。 田圃がちょっとやられたとか。

兄貴は、あの雨の中を、田圃を見に行った言うけぇの。 そんな時に行くな言うといたんじゃが、でも田圃もこれからっちゅうときじゃけえ、気になるのもしょうがないのぉ。 そういや、わしが子供の頃にも、1回凄い洪水になったことがあるんじゃけど、そのときも、わしらには高台のお寺に避難しろ言うて、親父とお袋は家に残っとったけぇのぉ。 2階まで水が来て、もう死ぬ思うたっていいよったのぉ。 一緒に避難すりゃいいようなもんじゃけど、やっぱり田圃が気になったんじゃろうのぉ。

と、父。

台風や洪水の時、わざわざ危ない場所に行って死ぬというニュースを見ることがあるが、あれは野次馬ばかりじゃなくて、本当に心配で様子を見に行くってのもあるんだな。