2009 08 21

人で無し

いつものように満員の電車の中で、いつもとはちょっと違うざわめきが左側から。 見ると、俺の隣の隣で、20代後半ぐらいの女がしゃがみ込んでいた。 気分が悪いらしい。

逆隣に立っていた20代前半ぐらいのサラリーマン風が、 「大丈夫ですか?」 と声をかける。 女は無言で頷くも、立てそうにない。 若者、目の前に座っていた50代サラリーマン風のおっさんを見る。 おっさん、軽く頷いて、女に席を譲る。 女、 「すみません」 と席に座るも、すぐにずるずると崩れ落ちて、下半身は床、上半身が席に伏せている状態。 若者、自分のバッグから麦茶らしいペットボトルを取り出し、 「冷えているから、熱いならこれを使ってください」 と女に渡す。 女、受け取って抱え込むが、体勢は伏せたまま。 電車、明大前に到着。 女、ふらふらしながら下車し、ちょっと歩いてまたしゃがみ込む。 駅の職員が駆け寄って、ホームのベンチに誘導。

電車が発車したので、その後は不明なのだが、あれは何だったんだろう。 貧血かな。

そう言えば、昨日も同じように電車の中でしゃがみ込んだ人がいたな。 昨日のは、俺と同じぐらいの年齢の、ちょっとオタクっぽいおっさん。 リュックサック。 小太り。 何度かしゃがみ込んでいたのだが、席を譲るどころか、誰一人声も掛けなかった。 今日の若者だったら、あのおっさんにも親切にしただろうか。

もし、俺が傍に立っていたら、何かしただろうか。 多分何もしない。 おっさんは、自分で立てない程ではないようだったから。 女は、手を貸して痴漢扱いされたら嫌だから。 どちらに対しても、もちろん可哀想だとは思うが、その思いはそんなに大きくはない。 ただでさえ狭いのをよけい狭くされたことへの苛立ちで相殺する程度。 もし、しゃがみ込んだままで吐いたりしたら、可哀想だという思いを苛立ちが簡単に塗り潰すだろう。 症状はこっちの方が酷いのだが。

もう一つ、そう言えば、先週の土曜日だったか、平山城祉公園の辺りを歩いていたら、鳥の雛が地面に落ちていた。 巣立つにはまだ早い感じだったので、巣から落ちたんだろうと思う。 が、周囲を見ても、巣らしきものは見当たらない。 親鳥らしい姿もない。 踞ったまま、じっとこっちを見ている雛。 怪我でもしているのかと、近付いてしゃがんでしばらく観察したのだが、その間もじっとこっちを見たまま。 緊張してるんだろうか。 まあ、特に怪我もなさそうだし、 「なんとか巣に帰れるといいな」 なんて思いながら立ちあがった。 で、背を向けて歩き出すと、背中から鳴き声が。 振り返ると、雛が鳴きながらちょこちょここっちに歩いてきてた。

その姿を見た瞬間、一気に湧き出る憐れみと罪悪感。 もう一度巣を探してみるが、見当たらない。 腹が減ってるんだろうか? 鳥の餌でも買ってくるか。 って、どこで? そもそもこいつは何を食べるんだ? じゃあ、獣医? どこにあるんだよ。 くそ、こんな日に限って携帯持ってきてないし。 ああ、どうしよう?

なんてアタフタして、結局 「俺には何もできない」 という結論に達し、逃げるようにその場を離れたのだった。

冷静に考えれば、たまたま鳴いただけ、たまたまこちらに歩いただけ、という可能性も高い。 しかしあの時は、見捨てて立ち去ることに酷い罪悪感を感じたんだよな。 もっとも、その罪悪感も、今朝の女を見るまでは忘れていた訳だが。 しかし、人と鳥なら、同じ人により心が動きそうなものだが、なぜ鳥の方なんだろう。 鳥の方が、助けが無ければ死んでしまう可能性が高いからかな。 いや、 「同じ人」 ではないって可能性もあるのか。