2001 12 21

伝染する笑顔の1

朝の京王線。 確か府中を出てすぐだったと思う。 電車が揺れたわけでもないのに突然波打つように人が動いて、背中を押されて、振り返ると人が倒れていた。 二十歳ぐらいの男。 すぐに立ち上がって吊り輪につかまったその男に、隣にいた50歳ぐらいの男が、 「大丈夫か? 貧血か? 次の駅で降りて、少し休んだ方がいいんじゃないか?」 などと声をかけていた。

陶製の人形を落としてしまった。 服の袖が人形の髪に引っ掛かって、棚から落ちてしまったのだ。 運の悪いことに、人形が落ちたところには金属製の目覚まし時計が置いてあった。 人形はその時計にぶつかってピシッと不吉な音を立てた。 拾い上げると、人形の顔に、右目の下から口元にかけて、くっきりとひびが入っていた。

「割れちゃった?」

と、彼女が俺の手元を覗き込んだ。

「うん。 顔にひびが入った。 ごめん」

「謝らなくてもいいよ。 わざとじゃないんでしょ?」

「そりゃそうだけど、ごめん。 これ、大切にしてたんだろ? 確かお婆さんから…」

「お婆さんはいいの。 もう死んじゃったし」

そう言うと、彼女は俺の手から人形を取り上げて、ベランダに出た。 外はいい天気だった。

彼女はベランダのコンクリートの上に人形を置くと、

「見ててよ」

と言って、無造作に人形を踏み潰した。

人形の陶の体が、服の中で少しこもった音を立てて砕けた。 頭と手と足が、服から外れて転がった。 その足を踏み潰した。 踏み潰された小さな足は、破片になっても足の形に並んでいた。 手を踏み潰した。 折れて転がった指を踏み潰した。 最後に頭を、

「これ、こっちを見ているみたいだね」

と言って踏み潰した。

「人形、壊れちゃった」

「……」

言葉も無く呆然と見ている俺に、彼女は、

「ほらね。 あなたは小さなひび。 人形を壊したのはほとんど私。 だから、謝らなくてもいいよ」

と言ってにっこり笑うと、破片を掃き集めて燃えないゴミの袋に捨てた。

倒れた男に背を向けて立っていた二十歳ぐらいの女が、時々後ろを振り返りながらクスクス笑っていた。 その笑顔に、こんな妄想をしていて、はっと気がつくと自分も薄笑いだった。

初雪。