朝の京王線。 確か府中を出てすぐだったと思う。 電車が揺れたわけでもないのに突然波打つように人が動いて、背中を押されて、振り返ると人が倒れていた。 二十歳ぐらいの男。 すぐに立ち上がって吊り輪につかまったその男に、隣にいた50歳ぐらいの男が、 「大丈夫か? 貧血か? 次の駅で降りて、少し休んだ方がいいんじゃないか?」 などと声をかけていた。
陶製の人形を落としてしまった。 服の袖が人形の髪に引っ掛かって、棚から落ちてしまったのだ。 運の悪いことに、人形が落ちたところには金属製の目覚まし時計が置いてあった。 人形はその時計にぶつかってピシッと不吉な音を立てた。 拾い上げると、人形の顔に、右目の下から口元にかけて、くっきりとひびが入っていた。
「割れちゃった?」
と、彼女が俺の手元を覗き込んだ。
「うん。 顔にひびが入った。 ごめん」
「謝らなくてもいいよ。 わざとじゃないんでしょ?」
「そりゃそうだけど、ごめん。 これ、大切にしてたんだろ? 確かお婆さんから…」
「お婆さんはいいの。 もう死んじゃったし」
そう言うと、彼女は俺の手から人形を取り上げて、ベランダに出た。 外はいい天気だった。
彼女はベランダのコンクリートの上に人形を置くと、
「見ててよ」
と言って、無造作に人形を踏み潰した。
人形の陶の体が、服の中で少しこもった音を立てて砕けた。 頭と手と足が、服から外れて転がった。 その足を踏み潰した。 踏み潰された小さな足は、破片になっても足の形に並んでいた。 手を踏み潰した。 折れて転がった指を踏み潰した。 最後に頭を、
「これ、こっちを見ているみたいだね」
と言って踏み潰した。
「人形、壊れちゃった」
「……」
言葉も無く呆然と見ている俺に、彼女は、
「ほらね。 あなたは小さなひび。 人形を壊したのはほとんど私。 だから、謝らなくてもいいよ」
と言ってにっこり笑うと、破片を掃き集めて燃えないゴミの袋に捨てた。
倒れた男に背を向けて立っていた二十歳ぐらいの女が、時々後ろを振り返りながらクスクス笑っていた。 その笑顔に、こんな妄想をしていて、はっと気がつくと自分も薄笑いだった。
初雪。