先日の プレゼント に若干の補足。
記事中の
たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね
という言い方は、実際は、可愛く甘えた言い方だったのかもしれない。
夫は、妻のそんなところも含めて好きだったのかもしれない。
どう受け取るかは、結局のところ、そんな言い方が好きか嫌いか、或いは、嫌いであっても受け止める度量(?)が有るか無いか、で分かれるのだろう。
そうした言い方が嫌いで、どう甘く言われても良い気はしないだろう俺が想像したのは、
「はーい、ミルクですよー。 美味しいですかー。 ○○ちゃんは良いですねー、大好きなミルクがいっぱい飲めて。 でも、ママはちょっと寂しいですよー。 もうすぐホワイトデーなのに、きっとまた何も無いんですよー。 ママ、寂しーなー。 たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんねー」
なんて、仕事から帰ってきて夕食を食べているパパの横で、顔だけは子供に向かって、聞こえよがしに言ってる状態。
記事中で
意地悪
と表現されていることから、言ってる妻の方も悪印象を意識していただろう。
ストレートに
「指輪を買ってほしい」
と言えば済むものを、わざわざこんな意地悪な言い方をするのは何故か。
無理矢理想像するなら、
そんなジレンマの解決策か。 この程度なら許してくれるという前提での。
この前提が甘えによるものならまだ可愛気もあるが、夫がこうした攻撃を受け止めることを義務だと思っている可能性の方が高いのではないか。 「男ならそのぐらいは」 とか 「私はもっと大変なんだから」 とか、適当に自己正当化して、だから受け止めるのは夫の当然の義務だと。
記事を読んで最初に違和感を感じたのは、妻の台詞ではなく、避難時の行動の方だった。
もうぶつかっても仕方ない
と決断して対向車線を走ったというが、この状況でぶつかったら、ぶつけられた方ははほぼ確実に死ぬ。
ぶつけられたことで死ななくても、このために津波から逃げ遅れて死ぬことになるだろう。
つまりこれは、殺人の決断なんだよな。
百歩譲って未必の故意。
ま、そうは言っても、目の前に死が迫っている状態なら、他人を殺してでも自分達が生きるという選択をする人は多いだろう。 避難指示を放送し続けながら津波にのまれた職員とか、被曝の危険をおして放水に向かう隊員とか、そういった人たちと比べて非難するのは酷だと思う。
いずれにしても、この記事が事実なら、という話なのだが。 特に後段の方は、記者が勝手に話を膨らませたんじゃないかという気がするので、俺の中では保留。
これ、単に指輪が見つかったってだけなら、美談でよかったと思う。 生前、こんな別れ方をするとは思わずに意地悪しちゃって… ぐらいまでなら、まだ許せる。 でも、人を殺しても仕方ないと決断したとか、そんな脚色しちゃ駄目だろ。
記事を読む方がまたね。 悲惨な映像はもういい、お涙頂戴に走るな、なんて言ってる一方で、なんでこの程度の話を無批判に受け入れるのか。 しかも美談に対する批判を許さないとか、疑問を通り越して危険を感じるよ。
けどまあ、そんなことだから義援金がたくさん集まったりする訳で、流され易いのも悪い事ばかりではないのだが。