2011 04 22

巨乳薄命

深夜アニメの放送を、新聞で全面広告する時代なんだよな。

魔法少女まどか☆マギカ

深夜にやっていたことも物議をかもしていたこともは知っていたが、タイトルのために全く見る気がしなかった。 震災で放送を自粛したと聞いて、ちょっと興味が出てきた。 新聞の広告で自粛回と最終回を放送するのを知って自粛回を見てみようと思い、せっかくだからとわざわざ YouTube で1話から見直して全話通して見てしまった。 そんな流れなのだが、見てしまった今では、知らないままで通り過ぎなくてよかったと思う。

登場する魔法少女たちはみな、幸せを願って魔法少女になり、その願いのために不幸になる。 一時の幸福と、やがて訪れる絶望。 自分がゾンビと知った時。 倒してきた魔女の正体を知った時。 もうひたすら絶望。 唯一の友達を自らの手で殺し、歯を食いしばって過去を繰り返した結果を、憎むべき敵から 「お手柄だよ」 と礼を言われた時なんてもう。

敵の台詞といえば、騙したと怒るまどかに対する答えもいい。 「君達は家畜に引け目を感じるのかい?」 とか 「認識の相違から生じた判断ミスを後悔するとき、なぜか人間は他者を憎悪するんだよね」 とか。

騙されたと絶望する魔法少女たちを、可哀想だと思う一方で、ちょっぴり 「いい気味」 だとも思うのは、多分、俺がこれまでにいろいろ諦めてきたからなんだろう。 何かを諦めた者にとって、諦めずに頑張った先に絶望しかないと示されるのことは、ある種の救いなのだから。

だから、最終回の 「全ての魔法少女を救う」 というシステム書き換えが、本当に魔法少女しか救わなかったこと、根本原因である人の感情の負の側面を何ら解決せず、魔女が魔獣に置き換わっただけの結果を、なんとなくハッピーエンドに感じるのだろうと思う。

さて、震災に対して何を考えて放送を自粛したのか、結局自粛した回を見てもよく判らなかった。 街が水没した光景が宜しくないと判断したのだろうか。 どんな基準があるのか知らないが、その基準を具体的に示してほしいものだな。 でも、震災でこれなら、オーム真理教の事件の時なら放送がそのまま中止になったかもしれないのか。 魔法少女の騙され方って、なんか新興宗教に引っかかるのと同じように見えるんだよね。

しかしこれ、久しぶりのお薦めではあるのだが、実際に人にこれを勧めるのはちょっと抵抗があるな。 まずタイトルが、口に出すのが恥ずかしい。 内容も、先に言ってしまうと台無しだし、かと言って 「女子中学生が、胸の大きい順に不幸になる話」 と端折ってしまうのも、ねえ。