聞く度に気になるのが 「臓器を移植してまで、生き延びたくない」 という言葉だ。 そういう人は、たぶん本当にそう思っているのだろう。 もちろん、それはそれでいい。 俺が気になるのは、大げさに言えば、想像力の限界だ。
「臓器を移植してまで生きたくない」 という健康な人にとって、(自分の)死はリアリティを持っていない。 特に何かしなくても死んだりしないという安心感の中で、一つの選択肢として、死ぬと言っているのだ。
移植を待っている人は違う。 何もしなければ遠からず死ぬという状況で、生きるか死ぬかを問われるのだ。 そういう状況をリアルに想像することは、健康な人にはできないと思う。 少なくとも、俺にはできない。
現状、俺は、 「移植をしてまで生きたい」 とは思わない。 しかし、後3年の寿命だと宣言されたら。 そして、移植をすることでのみ生きられると言われたら。 3年後、じわじわ迫ってくる死を思い続けた3年後に、自分がどう変わるかは判らない。 自分が生きている価値が見つからなくても、ただ死にたくないというだけで、 「移植をして生きたい」 と言うような気がする。