各地で行われているワールドカップの予選ゲームを紹介する映像で、相手国の国歌が流れているときに、ホームの側の観客が大ブーイングをしているのを見たことがある。 相手国の国歌が流れている間は静かにしておくものだと思っていた俺にとって、その映像はちょっとした衝撃だった。 それが礼儀だと思うのは、日本の中での常識だったのだろう。 いざ本大会が始まってみると、隣の韓国でも、相手の国歌が流れているときにはブーイングや 「大韓民国」 コールだった。 もっとも、韓国サポーターは、アメリカとドイツのゲームにも赤いシャツで乗り込んで 「大韓民国」 コール。 何が何だか意味不明だけど。
そうそう、韓国代表は、イタリアだけでなく、それまでの試合も全てユニフォームの交換をしていないのだそうだ。 いろいろと不利な判定をされたイタリアが、ユニフォームの交換を拒否してさっさと引き上げたのかとも思ったが、これまでの全ての試合でユニフォームの交換をしなかったのなら、それはもう、韓国はそういうことをしないチームだということなのだろう。 もっとも、これまでに韓国と対戦したほとんどのチームが、不利な判定に泣かされているのだが。
誤審(特に韓国に有利なように集中して起きる判定)に目が行くようになったのは、こう言ってしまうと身も蓋も無いが、日本がもう負けてしまったからだな。 共催国であるという立場に、負けたから僻んで言うのだと思われたくないという気持ちもあってか、表立ってそういったことを指摘する声は、俺が知る限り、まだそれほどでもない。 しかし、このまま同じ様なことが(特に韓国とのゲームで)起き続けると、きっともっと強くなるだろう。 それが今から楽しみだ。
昨日、久し振りに高尾自然博物館に行った。 入り口近くの掲示板で、ネズミやヘビに関する能書きを読んでいたら、同じ様に隣で掲示板を見ていた小学校低学年といった男の子が、話しかけてきた。
「ねえ、上に行ったら、望遠鏡で鳥が見えるよ。 鳥がいっぱい。 望遠鏡で。 ねえ、見えるんだよ、鳥が。 望遠鏡で。 ねえ、望遠鏡で鳥が見えるんだよ」
真剣な顔で、望遠鏡で鳥が見えるのだと訴えるその子を、俺は全然知らない。 「ちょっと、そんなことわざわざ言わなくてもいいから」 と、子供を止めようとする母親も、全然知らない人だ。
戸惑う俺にじれたのか、その子は、俺の指を握って引っ張る。 「望遠鏡で鳥が見えるんだよ」 と繰り返しながら、2階への階段に足をかけて、早く行こうという顔で俺を見る。
「あぁ、見た。 それなら俺も見たよ」
と答えたら、なにやら納得したらしい。 俺の指を離して、母親と手を繋いで歩いていった。
俺も子供の頃、双眼鏡とか望遠鏡とかが大好きだった。 遠くのものが、すぐ目の前に見える驚き。 だから、その子の気持ちも判らんでも無い。 しかし、他にも人がいたのに、何で俺なんだろう。 やっぱり、いい人のオーラが滲み出ているからかな。 このオーラは、子供と、子供の心を忘れていない大人だけが、見ることができるのだ。
宇多田ヒカルのCDを買ってきた。