2015 02 25

ホイッスラー

10分ぐらいで終わるはずだった休日出勤が半日作業になって、その時はがっかりしていたのだが、おかげで時間調整で休暇がとれた。 で、せっかくなので、前から気になっていたホイッスラー展を見に横浜へ行ってきた。 平日だから空いているかと思ったのだが、そして実際に横浜美術館に向かう人はまばらだったのだが、中に入ってみれば、自由に見るにはちょっと邪魔って程度に人がいたな。

ホイッスラーは、大雑把だけどセンスが良いというのが、全体を通しての印象。 上から目線。

人物画よりも風景画に、油彩よりも版画に、そのセンスの良さが現れていたと思う。 古典的な油彩じゃ細かさに限界があるし、何を描き込んで何を省略するかといったメリハリは、版画の方が見えやすいのかもしれないな。

と、版画を持ち上げているが、どれかやるから一つ選べと言われたら、ノクターンシリーズで迷うことになると思う。 ホイッスラーランキングのトップにノクターンシリーズを持ってくる人は多いようで、観客の人口密度が露骨に高くなっていた。

しかし考えてみれば、狭い範囲の色の濃淡で薄暗がりの世界を表現するのは、単色で線の密度だけで表現する版画(ドライポイント)と似てなくもないんだよな。 使う道具は違うけど、発想は同じ方向なのか。

あと、愛人を描いたという 小さなホワイトガール が、横顔はそこそこ綺麗なのに鏡に映った顔が醜いのが印象的だった。 写実的に描いたらそうなったのかもしれないが、内心の別れたい気持ちが絵に出てしまったんじゃないかと思ってしまうぐらい。

ついでに常設展の方も見てたのだが、ホイッスラーの後で見る現代アートがなんだか酷く薄っぺらに見えて、その落差にちょっとびっくりした。 色々やり尽くされたなかで何か新しいことをやろうとして、ただ迷走して終わってしまった感じ。 ホイッスラーは、宗教的なテーマを持たせずただ綺麗と感じたものを描く主義を、当時の評論家から 絵の具をぶちまけただけ なんて批判されたそうだが、その批判は、彼ら現代アーティストにこそふさわしいと思う。

まあ、俺がそう思うだけで、あれは彼らが何か一つ枷を外して自由を得た結果なのかもしれないのだが。 2次元の住人に3次元の世界が理解できないように、彼らが得た何かが俺に理解できないだけなのかもしれない。

ところで英語の Whistle は笛だから、 Whistler は笛を吹く人で、日本の笛吹(うすい)さん相当なんだよな。 なんて思いながら辞書を引いてみたら、 Whistle には 「ヒーヒーいう」 なんて意味もあった。 じゃあ Whistler はヒーヒーいう人?

横浜ランドマークタワー

久しぶりに間近に見る横浜ランドマークタワー。

横浜美術館

横浜美術館内の彫刻群。 ちょっといい感じ。