2004 10 25

事故

午後半休にして家でうとうとしているところに、ガシャッ…ガッ…ガッ…ガララッ…と、眠りを覚ます派手な音。 「あぁ、またか」 とベランダに出て道路を見下ろすと、案の定、婆さんが倒れていた。 婆さんの5mほど向こうにバイク。 どうやらただ転んだだけのようだが、婆さんだけにダメージは深刻らしい。 車道にうつ伏せになって、時々顔を上げる以外にはほとんど動かない。

周りにいた人の動きは、けっこう素早かった。

20代半ばといった感じの女がすぐに婆さんに駆け寄ると、 「大丈夫ですか? しっかりして下さい」 などと声を掛けながら、そばを通る自動車から庇う様に、道路中央寄りに立った。 その立ち位置は、大して広くもない2車線道路にしては中央に寄り過ぎで、必然的に片側通行になってしまう自動車の流れを更に窮屈にしていた。 そういったことは3階から見下ろしているからこそ判ることなのだが、と言うか、これが価値観の違いってやつなのかも知れないな。 俺は交通の流れを含めた効率を優先して考えていたのだが、彼女は婆さんの安心を優先していたのかもしれない。 安全ではなくて安心。 歩道ですれ違うときにはもれなく自転車を降りてしまう人が安心できる距離の確保。

隣の薬局のおばさんが救急車を呼んだ。 「ちょうど店の前です」 と、携帯電話で大きな声で話していた。 この人、以前ここでバイクと自動車の接触事故があったときには、電話を貸してくれと言われて、店の横の公衆電話を使わせていた記憶がある。 今日は自分で通報する気になったのか。 で、薬局のおばさんが通報しているのだから、何かしら怪我の状況の説明もするのかと思ったら、単に場所を言って終わりだった。 ま、そんなもんか。

真っ先に駆け寄った女の連れらしい男が、倒れていたバイクを歩道に運んだ。 それから、上着を脱いで掛けようとしていた女を制して、自分の上着を婆さんに掛けた。 その後、すぐ傍の歩道に立って、道行く人に事故の瞬間の説明をしていた。

近くの道路工事現場にいた交通整理要員が二人、こちらに走ってくると、慣れた感じで交通整理を始めた。 直前、上着の男に事情を聞いていた男が、そっちを指差して走っていったから、きっとそいつが呼んだんだろう。 指差していたときの様子からすると、警備員ではなくて警官だと思っていたようだが、それはこの際どっちでもいいか。 婆さんを庇うように立っていた女は、車を彼らに任せると、婆さんのすぐ横にしゃがんで、励ますように声を掛けていた。

交通整理員がもう一人こちらに来たと思ったら、 「えっ! 嘘だろ!」 と言いながら駆け戻っていった。 さっき警備員を呼んできた男が戻ってきて、そっちを指差して話すには、 「信号無視のバイクが…」 どうとか。 どうやら工事現場のすぐ横でも事故があったらしい。 こっちと違って深刻そうだ。

やや出遅れた、八百屋かクリーニング屋のおっさんが、婆さんの様子を見に来て、 「タオル!濡らしてきて!」 と叫びながら駆け戻っていった。

男がタオルを持ってくるのと、救急車が到着するのがほぼ同時。 救急隊員は、まずは普通の担架を持ち出したが、うかつに婆さんを持ち上げない方がいいと判断したらしい。 薄い金属板を体の左右から下に差し込んで、婆さんの体の下で接合すると、婆さん自身の体勢をまったく変えることなしに持ち上げて車内に運びこんだ。 その間、タオルの男が婆さんの頭にタオルをかけ、上着の男は上着を回収した。 さっきまで婆さんが倒れていたところには、直径20cm程に血が広がっていた。

5分もかからずにきた救急車は、しかし婆さんを乗せたにも拘らず、出発しようとしなかった。 わき道に車を入れて、回転灯をクルクル光らせるだけ。 その後、15分ぐらいして警察が来ると、ようやく車を出した。 警官を待っていたのか。 警官も救急隊員も特にあわてた様子が無いところを見ると、婆さんの容態もまあ大したことは無いんだろう。

もう一つの事故の方からは、警察への連絡が行ってなかったらしい。 やってきた警官は、もう一つ事故があったことを知ると、 「あっちにはお巡りさんはいないの?」 と、交通整理をしている明かりを指差し、それが工事の警備員であると知ると、慌てて走っていった。 いい大人を相手にしたときも、警察官の自称は 「おまわりさん」 らしい。

そんな様子を、ベランダからずっと眺めていた。 手を出さず、口を出さず、あれこれ想像しながら、ただ眺めるだけ。