1998 04 26

ミステリーサークル

昨日の夜のこと。 炬燵の上にしばらく前から置いてあった八朔を食おうと手に取ったら、下半分が緑色になっていた。 炬燵の上には 「さっきまでここにありました」 といわんばかりに、奇麗な緑色の円ができていた。 部屋には、ほのかな柑橘系の香り。 八朔は、そのままごみ箱行き。

「どうすればいいだろうか?」 なんて人に相談するときは、実は、そいつの中ではどうすればいいか決めていて、それと同じ答えを聞いて安心したいだけなんだと、俺は思っている。 もっと軟弱に、どうすればいいか判っているのに、それを実行する度胸が無くて、最後の一押しを人に求めてるってのもあるな。 その場合、うまくいかなかったときには、 「あの時あの人がああ言ったからやったのに」 なんて言い出したりして、そんな人はもうなにをやっても駄目。 腐ったミカンだね。

教育問題なんかをテレビでやるとき、絶対に現場を知らないであろうと思われる学者や政治家が出て来て、悩みでもなんでも相談できる人がいないのが問題だとか言ってくれるけど、人に悩みを相談するか? ってゆーか、人に相談するような悩みがあるか?

俺には無い。

今だから無いんじゃなくて、中学生の頃も無かったぞ。 文句は多かったけど。 だいたい、悩みのつもりのほとんどは、愚痴だよ。 悩みと愚痴の境目ってのが、また微妙なんだけど、それでも愚痴だと言い切るね。