ゆとりの教育だそうだ。 授業時間を減らして、創造性を養うような時間をもうける。 選択科目の幅を広げて、生徒の特性を伸ばす。 だいたい2年ごとに、そんなことを言ってるような気がするが、それをまたいっそう押し進めるらしい。
この 「ゆとり」 って言葉が使われだしたのは、俺が中学生の頃だ。 その当時も、学校が荒れるのは詰め込みすぎが原因だとかで、教科の時間数を減らした。 その後、今に至るまで、ちょっとずつ授業時間が減らされてきたわけだ。
で、学校の抱える問題が解決したかっていうと、これが悪くなる一方。 それはつまり、授業時間を減らすという対策が間違ってたってことではないのか。 だいたいなぁ、 ただでさえ馬鹿なガキどもを、これ以上馬鹿にしてどうする? 暇な馬鹿はろくなことをしないんだから、むしろ詰め込め。
さて、前々回のどっちを助けるかってやつだが、生徒も当然のように俺に質問してきた。
「先生は、どっちを助けるの?」
「俺? どっちも助けない。 『ああ、俺じゃなくてよかった』って勝ち誇って高笑いだよ」
「えぇーっ! ひっどーい」
「嘘だよ、嘘。 そんなはず無いじゃないか。 一人の方を助けるよ」
「じゃ、100人見殺しにするの?」
「えっとね、最初は100人の方を助ける振りをする」
「うん」
「で、ぎりぎりになって、やっぱりこっちって、一人の方を助ける。 『お前の方が大切だ』とか言って」
「なんで?」
「演出だよ。 そうやって恩で縛って、俺の言うことをきかせるための。 一人なら確実だろ?」
「先生、それも酷くない?」
「そうかな?」
「そうだよ」
今に至って、俺の答えはAだ。
そろそろ月末なので、フレックスのマイナスを取り戻さなきゃいけない。 ということで、今日は 8:30 に出社した。 エレベーターに乗って、ドアを閉めようとしたら、女の人が走ってきた。 俺はいい人だから、わざわざ開くボタン押して待っててやったのだよ。 そしたら、次々と駆け込んでくる。 開くボタンを押したまま、心の中で採点してた。
4点、5点、5点、5点、3点、7点(10点満点。 5点以下は不可)
つまり、嬉しくなかったのだな。 それだけでも十分なのに、だめ押しとばかりに、はーはー息切らせながらほざきやがった。 「わざわざ走ることもなかったよね、2階なんだから」
呆気にとられる暇もなく2階について、みんな降りてった。 残った俺一人、6階まで上るエレベーターの中で、くすくす笑ってた。 悟ったよ。 いい人やってても、自分にいいことなんて何もない。 いい人はもうやめだ。