高幡不動は今年も菊祭り。 周辺の菊愛好家がたくさん出品するのだが、本気で作った菊って、毎年大体同じようになってしまうんだよな。 開催する側もそこは考えているようで、本気じゃない(?)菊で毎年少しだけ変化を持たせているのだが。
その変化が手抜きの度合いってのはどうなんだろう。 この塔、ちゃんと五重の塔だったときもあるのだ。 まあ、その時はその時で、各階が白一色に階数の数字だけという別の手抜きがしてあったのだが。
ここ数年のことがかなりあやふやになっている父だが、断片的には思い出せるらしい。 この人形にしてもそう。
「あ、これは見たことがある!」
「毎年飾ってあるからね。 去年も見たはずだよ」
「やっぱりそうか。 こーゆーのを見ると思い出すのぉ。 あれ? でも、なんか…」
「老けた?」
「おお、そうじゃ、老けちょる。 ははは、何でも歳を取るんじゃのぉ」
マネキンが老けるはずも無し、老けて見えるのは鬘の位置の問題だろう。 ちゃんと被せてないから、生え際が後退したように見えて、そのせいで老けて見えるのだ。 しかし、そんな指摘を呆けた老人からされたくはないよな。 肝心なことはたいてい忘れているのに、なんでこんな下らないことは覚えているのか。