2018 02 28

秘密の花園の隙間

時間調整で休暇を取って、いつも付き合ってくれるお嬢さんと三菱一号美術館で ルドン - 秘密の花園 を見てきた。

印象派が席巻する近代ヨーロッパ画壇で、印象派(ナビ派?)っぽい技法を使いながらも全然違うところを向いていたのがルドン。 そんなルドンの作品から、今回は植物に焦点を当てての展示なんだそうだ。

「植物を中心に」 であって 「植物限定」 ではないので、実際の展示品には植物とは違うものもちらほら混ざっているのだが、その違うものの半分ぐらいが妖怪だった。 シェークスピアの戯曲に出てくる奇形児に惹かれたとかで、奇形児をモチーフにした絵も何点か展示されていた。 あの奇形児は、ルドンの中ではたぶん妖怪と同じ扱いだったんだろう。

妖怪と言ってもおどろおどろしい感じは無くて、どっちかというと微笑ましい。 ヨーロッパで妖怪というとブリューゲルだが、あれよりは宗教色がぐっと薄い。 勧善懲悪とか誘惑とかの目的があって出てきてるのではなく、ただそこにいる感じ。 水木しげるの妖怪をヨーロピアンテイストで描き直すと、こんな感じになるんじゃないだろうか。

植物じゃないものの残り半分は人物画。 描かれている人はどれも東洋人風。 ドムシー男爵夫人の肖像画は、若い頃の岩下志麻と言われて見せられたら、そうなんだと思ってしまいそう。 妖怪はフランス人っぽかったのに、人にフランス感が薄いのは何故だろう。 って、フランスで描いているからフランス人ってのが短絡に過ぎるのか。 珍しいから描きたくなるのだろうし。

で、メインの植物だが、今回の展示で見るべきは植物のあれこれではなくて、色の変化だと思う。 だいたい1900年前後で、突然に華やかになるのだ。 この頃のルドンに一体何があったのか。

そんな華やかな作品の頂点の一つが、ドムシー男爵の城館の食堂壁画なのだが、これは見せ方をもっと考えてほしかったな。

壁画の一つ一つは良い感じだった。 なんかこうふわっとした感じで、大きいのに押し付けがましさや宗教的な主張も無く、これがあることでリラックスできるんじゃないかと思う。 だからこそ、本来の配置で見たかった。 せっかく壁画のほとんどが揃ったのだし。

しかし本来の配置に近い形で見れるのは、安っぽい縮小版の印刷が貼り付けられた写真撮影可のコーナーのみ。 本物は広い展示室の壁2面に配置されているのだが、配置の順番も微妙な上に、展示の説明資料が配置と違うという解りにくさ。 そしてグラン・ブーケのみが別室での単独展示で、せっかく一堂に会した壁画を並べるはずの大展示室にあるのはモノトーンの模造品。 何故?

当時の配置を再現するだけの場所が無かったのかもしれないが、しかしグラン・ブーケを同じ部屋に並べるぐらいのことはできるだろう。 ほぼ同じ大きさの模造品を置く場所があるんだからさ。 それが駄目でも、せめてカラーにしろよ。 いくらなんでもこれだけ白黒はないだろ。

まあ、きっと色んな事情があるんだろうけどさ。

屋根

三菱一号美術館の屋根。 微妙に波打っているように見える。

壁画

撮影可コーナーは食堂の壁画の模造品の展示。 だから本物もこの配置で見せろよ。

そうそう、この壁画の二つにまたがった枝が描かれていたのだが、その描き方がちょっと気になった。

描かれていた枝が、壁画をぴったりくっつけた状態で綺麗に繋がるようになっていた。 一枚の状態で描いて、描いた後に切り離した状態、と言った方が判り易いだろうか。

そんな二枚を、少しとはいえ離して配置したために、枝の繋がりが不自然になってしまってたんだよな。 本来の展示場所である食堂でもやっぱりちょっと離れて飾られていたらしい。 そうなるのは受注の段階から判っているのだから、実際に貼った時にできる隙間を考慮して描けば良いのに。

なんて言ってて思い出した話。

子供の頃はまだカセットテープというものがあった。

レコード、そう、当時はまだレコードが主流だったのだが、そのレコードが小遣い生活の身にはなかなか高価で買えなくて、だからレンタルレコード屋で借りてきてはカセットテープにダビングしてた。 しかも友達と二人で行って違うものを借り、互いに友達の分までダビングして、翌日交換とか。 で、そうして安くあげた分、カセットテープはちょっと高めのメタルにして 「やっぱりメタルだよな」 なんて言ってた。

そうして録り溜めたカセットテープを本棚に並べていたのだが、或る日ふと思い立って、カセトテープの背表紙(?)に雑誌から写真を切り取って填め込んでみた。

こんな感じで。

その結果、整頓されてはいたが少々殺風景だった本棚が一気に華やかになって、俺の中ではかなりの高評価だった。

その日のうちは。

最初の 「おお!」 な感動が落ち着いてくると、壁画で感じたようなことが気になりだした。 填め込んだ時にできる隙間を考慮しないで切った結果、全部が少しずれて見えてしまうのだ。

で、翌日またその写真のために同じ雑誌を買い直して、今度は完成状態の隙間を考慮して写真を切って填め込んでみた。 貧乏性の俺には、隙間相当分を切り捨てるのがとても勿体無く思えたが、そんな葛藤を乗り越えた結果は満足するものだった。

こんな感じで。

いや、その時の写真では本当に満足する結果になったのだが、サンプルに使ったネタのせいで改善具合が今一つはっきりしないな。 元からズレが目立たない画像の上に、花瓶と花の露出が減ってしまって、改善のはずが地味になっただけに見える。

過去の俺が無駄に細かっただけではないということを示すために、もっと判り易い写真を使ってみよう。

まずは隙間を考慮しなかった結果。

その改善版。

うーん…。 隙間がどう影響するかが判り易くはあるが、これまたネタのせいか、改善前のもそう悪くない気がする。 これはこれで味があるというか。

あと隙間は、実際に配置されたときにできる隙間と写真を切る時の隙間が同じだと、人の目にはむしろ繋がりが悪く見えるかも。 緩やかな変化ならたぶん気にならないけど、この月ように隙間の左右の変化が大きい場合は特に。 写真を切る時の隙間を若干狭くして、ちょっとだけ横に広がったように配置すると、より自然に見えるかもしれない。

ところで、この隙間越しの写真って、見る角度を変えると隙間の向こうの景色が微妙に動いて見えるんだね。 液晶ディスプレイだからだろうか。 或いはよく知られた錯視の一種? そんな風に見えるのは俺だけ?