2008 03 28

悪人正機

バスの中、携帯で大声で話していた男が、そのことを注意した男に逆切れし、暴行・死亡させたとして逮捕された。 被害者は61歳、加害者は58歳、ともに無職だそうだ。

現場を見ていないから実際のところは判らないのだが、すぐに切れる年寄り二人の喧嘩だったんじゃないかって気がするな。 注意した爺さんの方も、 「言ってることは正しいにしても、その言い方は無いだろう」 なんて態度じゃなかったのか。 だから殺されてもしょうがないとは言わないけどさ。

バスには約30人の乗客がいたが、だれも仲裁に入らなかったという。

これ、この事件を知らせる読売新聞の記事の最後の一段。 わざわざ段落を独立させて書いてあった。

仮にこの記事を書いた人に娘がいて、その娘がその場に居合わせたとしよう。 状況は、例えば、夕方から一緒に食事をするとかで待ち合わせ場所に向かう途中。 そのバスの中で、この喧嘩(と、敢えてここでは言っておく)を目にした娘が、記者に電話するのだ。

「今、バスの中なんだけど、何か喧嘩してて、バスがちょっと遅れるかも。 待ち合わせに遅れたらごめんね。 あ、でも、喧嘩って言うか、結構一方的かも。 お爺さん、って、どっちもお爺さんなんだけど、お爺さんらしいお爺さんの方が危ないかも。 私、ちょっと止めてくるね」

こんなとき、記者は娘の行動を止めないのだろうか。 記者本人が乗っていて、暴行している男がいかにもなヤクザだったら、酒臭い米海兵隊員だったら、とは訊かない。 自分の娘だったら、だ。

バスには約30人の乗客がいたが、他の乗客に被害はなかった。

もし、記者の娘がそのバスに乗っていたら、記事の最後はこうなったんじゃないかって気がする。 最初はそう書いても、編集で 「だれも仲裁に入らなかった」 にされてしまうのかな。