夕焼け。
津久井やまゆり園の事件では、現時点で死者19人、負傷者26人。 この手の事件では、被害者の名前は公表されて、犯人は責任能力の無い状態だった可能性を考慮しての匿名報道がパターンなのだが、今回は逆なんだね。 新聞の記事はこんなことになっていた。
神奈川県警が発表した、相模原の障害者施設殺傷事件で亡くなった方々は次の通り。
女性(19)、女性(40)、女性(26)、女性(70)、女性(60)、女性(65)、女性(46)、女性(65)、女性(35)、女性(55)、男性(41)、男性(43)、男性(66)、男性(66)、男性(55)、男性(65)、男性(49)、男性(67)、男性(43)。
県警は死者に障害があり、遺族が望んでい無いとして氏名を公表していない。 負傷者の性別は男性21人、女性5人。
たいていの場合、遺族は氏名を公表されることを望んでいないと思うのだが、被害者が障害者の場合は配慮されるらしい。 この配慮が、身内に障害者がいることを知られたくないという思いへのものだとすれば、それはつまり警察が 「障害は恥ずかしいもの」 というような差別的な感情を認めてるってことだよな。 それでいいのか?
まあ、氏名が公表されようがされなかろうが、俺には何の関係も無いんだけどさ。 でも殺しても殺されても氏名が公表されるだろう立場からすると、この扱いは優遇・逆差別でしかないからね。 嫌みの一つも言いたくなるってものだ。
しかし実際のところはどうなんだろうね。 警察がそんな理由で遺族に配慮するとは思え無いし、被害者の中に県警幹部や神奈川県議の関係者がいたんじゃないかとか、もうそんな理由しか浮かんでこない。
加害者の方も、なんだか微妙な扱い。
こうした事件でよく出てくる 「責任能力」 とか 「精神鑑定」 とかのキーワードが、俺が見ている範囲のニュースでは出てこない。 それはテレビの中の人が、こうしたキーワードを出してしまうと加害者と被害者が同じ枠の中の人と受け取られてしまうと思ってるからか?
好意的に考えれば、これも遺族への配慮なんだろう。 こうしたキーワードには必ず 「気狂いを外に出すな」 なんて反応がでてくるもので、それは今回の遺族にもきっとダメージを与えるだろうと考えたとか。
そうした配慮がさっと出てくるあたりに、被害者をどう見ているかが現れるんだろうけどさ。
嗚呼、何という自己紹介…