今日は時間調整で休みなので、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムでやっている ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生 を見てきた。
西洋においては、風景画は17世紀のオランダで確立されたんだそうだ。 宗教テーマの補助的シンボルを配置するための場所から、もっと単純な背景へ。 やがて背景の比率が大きくなり、ついには独立して風景画へ。 そんな流れ。
補助的なシンボルを配置するための場所としての背景ってのは、例えば 「神の愛と恵みを示すためにどこかに牛を描く、その牛が自然に見えるための場所」 みたいなもの。 実際にそこに何があるか、何が見えるかは関係無くて、牛を見せるための景色を見せるための窓を配置するような描き方。
そんな無理矢理でも、やってみればそこそこ自然になるもののようで、実際の絵を見ても説明されないとそういうものだと判らない。 まあ、知識のある人が見ればすぐに仮想風景だと判るんだろうけどさ。
しかし、山水画なんてジャンルがある文化圏からすれば、なんで17世紀まで風景画が確立していなかったのか、むしろその遅さの方が疑問なんだよな。 やっぱり宗教のせいだろうか。 山の姿に感動して筆を取り、しかし山ではなく神を描いてしまうとか、割とありそう。
いや、考えてみれば、こっちはこっちで山自体を信仰の対象と捉えていたりするし、描いているものはどちらも神だと言えるのか。 その神の姿が、山そのものか擬人化されているかという違いだけで。 だけって言うのは無理がある違いだけどさ。
展示の後半は風景画として確立されたいかにもな風景画になるのだが、何と言うか、安心感みたいなものが段違いだった。 この違いは何だろう。 宗教賛美のための無理矢理な調和が、現代の俺には逆に違和感になっていたのかな。
以下、印象に残った作品。
典型的な仮想背景らしいが、印象に残ったのは背景ではなくて母子の方。 母も子も同じ表情で同じ方向を見ているのだが、その表情がどう見ても悪巧みしている悪い奴なのだ。
物語のための背景としてよくできていると思う。 中央の母子がスポットライトを浴びているかのように浮き出て見える。
ヤン・ブリューゲルは親も子も同じ名前なんだそうだ。 これは子の方の作品なのだが、そうと判るのは作者欄に 「ヤン・ブリューゲル(子)」 とあるから。 ちなみに親も同じような作風だった。 そういう流派なんだろうか。
各月の星座が空に描かれているのだが、蟹座のシンボルが蟹ではなくザリガニだった。 だいたい同じ時期に描かれたものがやっぱりザリガニっぽかったので、これはもうこういう様式なんだろう。
絵自体は、どの月も微妙。 大きな絵だからなのか、同じ絵なのにあっちこっちから光が当たっているようでなんだか落ち着かない。 あと、描かれている人たち全員が小太りなのは、領土の豊かさアピールだろうか。
この手のものが俺は好きだが、しかしこれらは風景画なのか?
渋谷の風景。 前に来た時は、ポスターが水着の外人ばかりだった気がする。
今夜は満月。 普段よりも月が近くにあるらしい。