2018 12 28

ロシアと廃墟

今日は渋谷。 Bunkamura ザ・ミュージアムで ロマンティック ロシア を見て、その後に松濤美術館で 終わりのむこうへ:廃墟の美術史 を見てきた。

松濤美術館は初めてなのだが、bunkamuraから歩いて数分なんだね。 確か京王井の頭線の沿線だったはず…と渋谷で電車に乗ってから場所を確認したら、最寄りはすぐ隣の神泉駅。 まあそれはいいのだが、bunkamuraと松濤美術館との距離がbunkamuraから渋谷駅までとほぼ同じぐらいで、電車を使うのがまったく無駄な遠回りだった。 ちょっと負けた気分。

ロマンティック ロシア

ここ数年に見たロシア絵画は16〜18世紀の宗教画ばかりで、暗い印象しかなかった。 聖母子像とか、もう病気を疑う顔色の悪さだったりするし。 しかし主に19世紀の作品を展示する今回の 国立トレチャコフ美術館所蔵 ロマンティック ロシア は、そんな過去のロシア絵画からは想像できない明るさだった。 人も自然も。 宗教縛りがなくなって、描きたいものを自由に描けるようになったからだろうか。

とはいえ、やっぱりロシアはロシア。 光溢れる農村の風景の中に描かれている人々はあまり裕福そうには見えないし、都会は都会で、描かれている人は農村からの出稼ぎだったりして、絵を通してちらほら見える当時の社会はあまり明るそうではない。 風景の中で強く光が意識されているのも、長く暗い冬があるからこそだろう。

  1. ロマンティックな風景
  2. ロシアの人々
  3. 子供の世界
  4. 都市と生活

展示はこの構成なのだが、進むにつれて絵の中の人が増え、人が増えるにつれて陰も濃くなる。 ロシアらしくなると言ってもいい。 と思ったが、一通り見た後で展示を逆に辿ると、陰鬱な都会から逃れて農村にやってきた画家が短い夏の美しさに心打たれて…みたいな印象になった。 今更だけど、見せる順番も大事だね。

いくつか印象に残っているものを挙げておこう。

樫の木 イサーク・レヴィタン

木の存在感が凄い。

日本に鬼太郎やトトロがいるように、ロシアの森にも妖怪がいるだろう。 そいつらはきっと、こんな木を家にしているのだ。

正午、モスクワ郊外 イワン・シーシキン

夏の入道雲。 新海誠監督作品の背景っぽい。

実際にこの景色を見たら、画家なら描かずにはいられないんだろうな。

霜の降りた森 アレクセイ・サヴラーソフ

樹上や地面の氷が、朝日を受けてキラキラ光る様子がいい。

タイトルには霜とあるから朝日だと思うが、ロシアだからね。 朝の霜がそのまま残る夕方なのかもしれない。

落葉 イワン・ゴリュシュキン=ソロコブドフ

アール・デコ風味の美人画。

女性のコーナーが別にあるのに、なぜ風景画のコーナーに? と思ったら、これは秋を擬人化したものだそうだ。

本を手に フィリップ・マリャーヴィン

画家の妹の肖像画。

学生時代の作品で、同窓の学生に強い影響を与えたと解説にあった。 そりゃそうだろうと思ったね。

他にも色々あるが、特に風景画に惹かれるものが多かったな。

風景画は、近景に細かい輪郭のはっきりしたものを置き、奥をぼかす技法が流行りだったらしい。 空気遠近法のような人の目に見えるままの遠近感ではなくて、ズームレンズで背景をぼかした写真のような雰囲気。 他の展覧会で似たような技法を見た記憶がないのだが、ロシア限定の流行だったのだろうか。

人物は、男は肖像画ばかりだったが、女は幅広い。 尤も幅広いのは女のいる状況で、女の体型は割と画一的。 つまり巨乳ばかり。 コーナーのタイトルは 女性たち だが、俺の中では着衣巨乳のコーナーだった。 きっと脱いだら凄いのだ。

観客の方にも、ちょうどロシア人らしい家族がいた。 お母さん、お姉さん、幼女という構成。 このお母さんとお姉さんもやっぱり巨乳だった。 絵に全然負けてない。 絵を見てるはずがついそっちに視線が引き寄せられて、俺的にはこっちが 忘れえぬ女 に。

廃墟の美術史

ロマンティック ロシアを見た直後だったせいか、こちらの廃墟があまり印象に残っていない。 展示品がどれも弱いというか、薄っぺらく感じてしまう。

解説によると、ヨーロッパにおける廃墟絵の流れはおそよこんな感じ。

  1. 金持ちのイタリア旅行が流行る。
  2. 地元に、古代ローマの遺構をモチーフにした廃墟の絵がもたらされる。
  3. それらが人気となり、誇張した廃墟絵が量産される。
  4. 粗製乱造のせいで廃れる。

18〜19世紀に、このサイクルが数回あったらしい。 絵を見て量産品っぽいと思ったが、解説を読んだらだいたい正解だった。

量産された廃墟絵には版画が多かったのだが、というか量産のための版画だったのだろうが、版画と廃墟はちょっと合わない気がする。 版画、それもエッチングとかの銅版画だと、どうしても線がくっきりしてしまって、風化した雰囲気が出しにくいんじゃないか。

シュールレアリズムからデルボーが何点か展示されていた。 毎度思うことだが、デルボーって、表現したいイメージの中核みたいなものは伝わってくるのだが、女性の表現がなぁ…。

ヨーロッパの廃墟絵に触発された、江戸末期の日本人画家の作品もあった。 日本画の虎や象のように、実際には見たことがない古代ローマの廃墟を他の人の絵から想像して描いているのだが、俺の目にはヨーロッパの量産廃墟絵よりも良く見えた。 普段あまり意識することはないが、やっぱり日本人的な感性ってものがあるのだろうか。

現代の画家による廃墟絵は、以前、東京都美術館でやってた 現代の写実 で見たものばかりかも。

とまあ、あまり良い評価は無いが、全く無い訳じゃない。 せっかくだから一つ、俺の中の高評価作品を挙げておこう。

廃船 不染鉄

廃墟ではなく廃船。

インパクト勝負の感があるが、しかし勝負なら勝っている感もある。

+

渋谷駅付近

渋谷駅付近。 人もうるさいが色もうるさい。 お茶づけ海苔って…。

松濤美術館の1

松濤美術館の回廊。 廃墟の題材に良い感じ。

松濤美術館の2

松濤美術館の階段。 ちょっと好きかも。

神泉駅

京王井の頭線神泉駅。 渋谷駅のすぐ隣とは思えない人気の無さ。