1998 09 29

してほしい

久しぶりに10時過ぎまで会社にいた。 打ち合わせなんかで 「どのくらいかかりますか?」 ときかれたら、必ず余裕を持って答えるようにしている。 今回もそれなりの余裕を持たせたつもりだったのだが、事務所の移転を忘れていたり、体調不良で休んだりで、時間が足りなくなってしまったのだった。 まぁ何とかするんだけどね。 それでまた、何とかなっちゃうんだけどね。

電車のドアが閉まりかけたとき、というか、ほとんど閉まっていたドアの隙間から、無理矢理腕がねじ込まれた。 「大丈夫、こうなったら開くから!」 と叫ぶおっさんが、ドアの外に張り付いている。 そして、そのおっさんの言葉通りにドアが開かれて、酒臭い二人が乗り込んできたのだった。 痩せと小太りのジャージ姿の二人組。 腕を突っ込んだのは痩せの方だ。 小太りが、 「いやぁ助かったよ。 どうもありがとう」 と言った瞬間に、痩せが炸裂した。

「俺はやるよ。 相手がJRだろうが京王だろうが言うよ。 人が走ってきてるのに、ドアを閉めるなってんだよ。 な? そんなのあるかってんだよ。 な? 俺は言うよ。 俺は… 」

テルミーガツンぶりを熱くアピールしている。 なんだか涙ぐんでいる。 よく見ると鼻水を垂らしている。 そして、おきまりの車内放送。

「駆け込み乗車は、大変危険ですので…」

「俺は言ってやるよ。 相手がJRだろうが…(以下繰り返し)」

全然聞いちゃいない。 さらに鼻水。 (以下垂れ流し)

周りの乗客には、めちゃめちゃ受けてた。 これはこれで幸せなのかもしれないな。 痩せは聖蹟桜ヶ丘で降りた。

これで静かになるかと思ったら、入れ替わりに乗ってきた女の子二人組が、俺のすぐ後ろでひそひそ話してはじめて、これがまた気に障る。 「彼氏が忙しいから、なるべくあれこれ言わないようにしている」 とか、 「誰もやらないから、部室の掃除を自分がしてる」 とか。

要は、 「私は人の知らないところでこんなに努力して我慢して気を使ってあげている」 ということだ。 そしてそういうことを言う人は、 「だから自分は報われるべきだ」 と考えるのだ。 人の知らないところでする小さな努力や我慢や気配りを、そうしているとは言わない(言えない)くせに、察してもらいたい、努力を認めてもらいたい、そんな風に考えるのだ。

危険なのだよ、そういう考えは。 人の知らないところで何か(良いこと)をしようとするのは、人の知らないところで何かしている自分に満足できる人だけにすべきだ。 そうじゃなければ、やらない方がいい。 特に、自分がこんなことをしているんだと口に出せない人は。 もしやってしまっても、それを積み重ねたりせずに、すぐにやめた方がいい。 何故なら、その人がやっていることは、そのまま人に知られることはなく、次第に 「何でみんなわかってくれないんだ」 という不満となって鬱積し、いつか爆発して、誰か(それはたいてい、身近にいる大切な人)を傷つけることになるからだ。

と、ちょっと気に障ったぐらいで、駄目だと決めつけてみた。 ちなみに俺は、 「してあげる」 と言われることにとっても弱い。 してしてって思う。